主日礼拝 2024年 5月5日〈10時15分~11時30分〉
復活節第6主日
招き 前奏
招詞 詩編92編 13節~14節
頌栄 539
主の祈り (交読文 表紙裏)
讃美歌 159
交読文 15 詩編46編
旧約聖書 エレミヤ書4章3節(P.1181)
新約聖書 マルコによる福音書 4章1節~9節(P.66)
祈祷
讃美歌 229
奨励 「芽生え、育って実を結ぶ種」
小河信一牧師
(※下記に録音したものを掲載しています)
祈祷
讃美歌 234A
使徒信条
献金
報告
讃詠 545
祝祷
後奏
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〈説教の要約〉
2024年 4月28日
復活節 第5主日
旧約聖書 詩編142編 1節~8節(P.982)
新約聖書 ヘブライ人への手紙 5章7節(P.406)
説 教「わたしは主に向かって声をあげる」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅲ あなたはわたしの避けどころ ……詩編142:6
Ⅳ 主に従う人々がわたしを冠としますように ……詩編142:7-8
Ⅴ 激しい叫び声をあげ、涙を流しながら ……ヘブライ5:7
序
本日は旧約から、ダビデ(詩編142:1 表題と関連箇所)、エリヤ(列王記上19章)、そして詩編詩人(詩編142:2-8 本文)の「洞穴」体験と祈りを取り上げます。最後に新約から、主イエスの祈りを読みます。
まず、詩編142編の特徴を要約してみましょう。
ひたすら自分の悩みや苦しみを神に訴えています。しかし、敵対者や迫害者へ恨みつらみをまくし立てているのではありません。「罪」という言葉は出てきませんが、自分自身またはその境遇を内省しています。深い嘆きの淵にありながらも、神による救出を待ち望んでいます。
独特な人生経験を背景とする個性的な詩であると言えましょう。わたしたちには思いも寄らない祈りである、それだからこそ、この詩編の言葉は新鮮なものとして心に染み込んでくるのではないでしょうか。
Ⅰ 声をあげ、主に向かって叫べ
詩編142:1-3――
「ダビデが洞穴にいたとき」との表題には興味がそそられます。というのも、多くの人は心理的に、「洞穴」に投げ込まれたり、「洞穴」から抜け出せなくっているような経験を持っているからです。夢で「穴」への落下体験をした人もいることでしょう。実際には現代社会においては、危険な「洞穴」は大概封鎖されています。しかし、「昭和の少年」なら、今はもう時効の、防空壕の冒険話を聞かせてくれるかも知れません。
いやむしろ、聖書の「洞窟」体験が衝撃的過ぎて、頭から離れないという方もおられるのではないでしょうか。この表題の通り、サウルのもとから逃亡している時、ダビデは「アドラム」(サムエル記上22:1)や「エン・ゲディ」(死海沿岸 サムエル記上24:3-4)で「洞窟」に隠れました。西はペリシテ地方から東は死海沿岸まで、ダビデは荒れ野をさ迷っていました。殺意をもった人間の目をくらますため、「洞窟」の暗闇に入るのは恐怖以外の何ものでもなかったことでしょう。
さらに聖書中、極めつけの「穴」落下と言えば、ヤコブの子ヨセフの物語が挙げられるに違いありません(創世記37:12-36)。それが悲惨なのは、血を分けた兄弟たちが、「穴」に投げ込んだということです。
或る日、父ヤコブは、息子たちや羊の群れの安否を知るために、ヨセフを送り出しました。それからヨセフは、「ドタン」(創世記37:17)で兄たちの一行を見つけました。その途端、兄たちは何を血迷ったか、日頃のねたみに駆られて、弟ヨセフを「穴」の中に放り入れました。
それは、ヨセフの人生を大転換させる出来事でした。幸いにも、ヨセフはミディアン人の商人によって「穴」から引き上げられました(創世記37:28)。ヨセフは父や兄たちと生き別れになりました。しかし、神の御手が働いて、ヨセフはエジプトの役人の家に召し入れられることになりました(創世記39:1)。
わたしたちは聖書によって、いろいろな人の「洞穴」体験を振り返ることができます。そこで、「声をあげ、主に向かって叫べ」との命令に耳を傾けると、その重みが存分に味わえるでしょう。
「声をあげ」は原文に即せば、「わたしの声で」となります。逃亡している人は孤独です。寄り頼めるのは、「わたしの声」しかありません。だから、「わたしの声」が2回繰り返されています。「洞穴」の奥から、「穴」の底から、気持ちが折れそうになりながらも、詩人は「わたしの声で」叫び続けました。
もはやもがいても誰も助けに来ない、とわたしたちは思います。しかし、詩人は「主に向かって」(これも2回)声をあげています。これこそ、祈りです。神が聞き届けてくださる、あるいは、神がそばにいてくださる、と信じて祈っています。
その信仰の姿勢には確固たるものがあります。というのも、「御前にわたしの悩みを注ぎ出し 御前にわたしの苦しみを訴えよう」と、神の御前にあることが言明されているからです。
実は、神の人エリヤ(列王記上17:18)もまた、命からがら、「洞穴」に逃げ込んだ経験がありました。エリヤの場合、思いがけない所にあった「洞穴」(同上19:9)に、神の御手の働きがありました。
北イスラエル王国で預言者活動していたエリヤは、王妃イゼベルに「命をとる」と恫喝されて、ベエル・シェバの南方に逃走しました(列王記上19:1-8)。
列王記上19:8-9――
8 エリヤは起きて(主の天使が用意したパン菓子と水を)食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。9 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
エリヤはあてどなく、荒れ野をさ迷っていました。「ついに神の山ホレブに着いた」のも、「主の天使」の励ましによるものでした。モーセのように「神の山」へ登る気力(出エジプト記24:13-15)はなく、エリヤは「そこにあった洞穴に入り」、倒れ伏しました。
ではでは、「洞穴」のエリヤさん、エリヤさん、「声をあげ、主に向かって叫び」ましょう。その応えは、「見よ、そのとき、主の言葉があった」でありました。旅の疲れで昏睡状態であったためでしょうか、聖書本文には、エリヤが「声をあげ」祈ったとは書かれていません。しかし、「洞穴」にいたエリヤが、神の「御前に」あったことは真実でありました。なぜなら、エリヤの逃亡劇において、神が「神の山ホレブ」に来るように、シナリオを作っていたからです。
「わたしの悩みを注ぎ出し 御前にわたしの苦しみを訴えよう」との詩編詩人の呼びかけに応じるかのように、エリヤはその「洞穴」の中から、死の恐れや職務(預言活動)上の疲れなどを、神に告白しました(列王記上19:10)。主なる神は、「洞穴」にひそんでいる人間の「訴え」を聞き届けられました。そして実際、「主に向かって憐れみを求めよう」との叫びは聞かれ、エリヤに、道を引き返して困難に立ち向かう力が与えられました(同上19:15-17)。
Ⅱ わたしの霊がなえ果てているとき
詩編142:4-5――
そこには罠が仕掛けられています。
5 目を注いで御覧ください。
「洞穴」の奥底体験、つまり、行き詰まった状態の中で、詩人の祈りが続いています。一見、まとまりのない段落のように思われますが、4節の初行に重心を置いて読むと分かりやすいでしょう。「声をあげ、主に向かって叫ぶ」との神への全き信頼によって、闇の中に座している人は神の光に包まれています。
4節の初行前半は、「洞穴」の奥深くに隠れ、「わたしの霊がなえ果てているとき」ということです。闇に封じ込められて、「わたしの霊」が生気を失っている状態です。また、この聖句は、「わたしが息絶えようとするとき」とも訳されます(参照:ヨナ書2:8)。
このままでは、命そのものが衰え果ててしまいそうですが、このような窮地において、信仰告白がなされます……「あなたは わたしがどのような道に行こうとするか ご存じです」(4節の初行後半)。このような真実な信仰に至らしめるために、神は試練のうちに人を「洞穴」に追い込んだのかも知れません。
「あなた(主なる神)はわたしの小道を知っている」というのは、まことに驚くべきことであり感謝なことであります。これは、詩人の実体験と祈りに基づくものでありましょう。神はイスラエルの北の山々から南の荒れ野に至るまで、「洞穴」や「小道」すべてをご存じなのです。
そのような神への信頼に支えられて、詩人は「御前にわたしの悩みを注ぎ出し」ています。神に打ち明けること、また、そのような時を持つことが重要なのだ、と教えられます。思いの丈、泣いていいし、不安になっている自分をさらけ出していいのです。
「そこには罠が仕掛けられています……右に立ってくれる友もなく 逃れ場は失われ 命を助けようとしてくれる人もありません」……これは、「罠」に陥り、死線をさ迷っている人の挽歌になっています。悲しい調べが奏でられています。ただ今、「挽歌」と評したように、神への祈りの品位(美しいヘブライ語の詩!)は保たれています。
「命を助けようとしてくれる人」とは、「わたしの魂に配慮してくれる人」との意味で、牧会的なケアをする人とも言い換えられます。その人は、わたしが苦しんでいる時に「右に立ってくれる友」です。その右側の人は神の祝福をわたしに分かち与えてくれます(詩編109:31、マタイ25:34)。
「洞穴」の奥底にいる詩人に、「わたしの魂に配慮してくださる」神が立ち現れました。わたしたちの救いは、その一点にあります。
Ⅲ あなたはわたしの避けどころ
主よ、あなたに向かって叫び、申します
「個人の嘆きの歌」(A.B.ローズ他)と称されることの多い詩編142編ですが、4節と共に6節は、なだらかな双子山の頂上を成しています。つまり、神への信頼の告白のもとに、「わたしの悩み」や「わたしの苦しみ」は置かれています。神の栄光に満ちた、この山頂から、「命あるものの地」が、ダビデやエリヤが隠れていた小さな「洞穴」までもが見渡せます。
「わたしの霊がなえ果てているとき」、神より「命」の回復が指し示されました。「あなたはわたしの避けどころ」……そうして、ダビデやエリヤは、自分のそばに臨在しておられる主なる神が、「避けどころ」であると知りました。神のささやく声を聞き、エリヤは「出て来て、洞穴の入り口に立ちました」(列王記上19:12-13)。
詩人は、「あなたはわたしの分」であると告白しています。「わたしの分」は、神御自身です。言い換えれば、信仰によって神に結びついているかぎり、「わたしの分」は朽ちることなく(詩編73:26)、増し加えられていきます。
聖書的な意味では、「分」は、一部分の「分」ではありません。そうではなく、神から与えられた「分け前」です。十二分な「分」です!
それは、その人が「命あるものの地で」生きていくための、豊かな「分け前」であり、恵みであります。それ故に、自分の授かった「分け前」はその名称の通り、隣人に分け与えるべきものです。
主なる神を「わたしの分」とする詩人と隣人たちとのつながりは、最終段落に美しく描き出されています。
Ⅳ 主に従う人々がわたしを冠としますように
詩編142:7-8――
彼らはわたしよりも強いのです。
あなたの御名に感謝することができますように。
あなたがわたしに報いてくださいますように。
この詩編の冒頭と同様に、詩人は「わたしの叫びに耳を傾けてください」と、神に祈り求めています。「わたしの声」(詩編142:2)が「わたしの叫び」となって強められています。そして何よりも際立たされているのは、救い主なる神です。この父なる神こそが、わたしたちを死と罪の縄目から解放するために、御子イエス・キリストをこの世に遣わされました。
またこの詩編では、「あなたはわたしの避けどころ」ならびに「あなたはわたしの分」であるとの告白文が表されました(詩編142:4,6)。ところが、ここでは躍動する神が叙述されています。すなわち、そのお方は、「迫害する者から助け出す」神であり、「わたしの魂を枷から引き出す」神であります。
救い主なる神に祈り求める「わたしは甚だしく卑しめられています」とあります。この句は、「わたしは甚だしく弱められている」と意訳できます。そうだとすれば、詩人は「わたし(主)の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9)というキリストの恵みと力を注がれるのに、ふさわしい人ということになります。
さらに言えば、この人の側で、十字架のへりくだりによって、わたしたちの兄弟となり、わたしたちを死と罪から助け出してくださった主イエス・キリストを信じる用意がなされていると言えましょう。「洞穴」で、自分の弱さや貧しさに直面させられたことは、無駄ではなかったのです。
「主に従う人々がわたしを冠としますように」……表現・内容共に美しい詩です。情景を思い描いてみましょう。神への信頼に満ちた、なだらかな山を下って来た人が、地の平和にたどり着くという情景です。かぐわしい油が、ヘルモンにおく露のように、「命あるものの地」に滴り落ちます(参照:詩編133:2-3)。
「主に従う人々がわたしを冠としますように」……救い主なる神の御業にあずかるとき、「わたし」なる詩人は、「主に従う人々」に囲まれます。「わたし」を花飾りの「冠」として戴くように、「主に従う人々」が集まります。別言すれば、帰って来た「わたし」なる放蕩息子のために、家族や近所の人々が盛大な祝宴を開いている様子(ルカ15:11-32)になぞらえられるでしょう。
「わたし」もまた「主に従う人」の一人として、周りの人々と、愛と喜びをもって交わります。これこそまさに、「声をあげ、主に向かって憐れみを求める」詩人、孤独なさすらい人が待ち望んでいる将来です。
Ⅴ 激しい叫び声をあげ、涙を流しながら
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
最初に、ヘブライ人への手紙の著者が述べている「キリスト」の「祈り」の特徴を捉えることにしましょう。
すぐに目に入るのは、「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に」というくだりです。すなわち、キリストはまっすぐに父なる神に祈りをささげられたということです。詩編の祈りに沿って、「声をあげ、主に向かって叫ばれ」ました。
キリストはゲツセマネで、「汗が血の滴るように」流れ落ちる、苦しみの中で祈られました(ルカ22:44)。その時、「御心に適うことが行われますように」と言われて(マルコ14:36)、全能者なる神に寄り頼まれました。そのことは、「わが神、わが神」(マタイ27:46)と、「激しい叫び声をあげた」、十字架の究極の苦難においても、全くぶれることはありませんでした。
そして、キリストは、「肉において生きておられた」との句に示されているように、わたしたち人間の弱さや貧しさを背負っておられました。キリストはそれらを、「わたしの悩み」または「わたしの苦しみ」と受け止められました。そうしてキリストは人間に代わって、父なる神に「祈りと願いとをささげ」られました。
キリストは信じる者を「死から救う」……父なる神は御子、イエス・キリストをこの世に遣わすことによって、その救いの御業を成し遂げられました。そうして、死と罪から助け出された者は、御霊を注がれて、「命あるものの地」で生きはじめました。
時に信仰者は、この世でダビデやエリヤのように、「洞穴」に追い込まれたり隠れたりすることがあります。しかし、霊はなえ果てているときにも、主なる神はわたしたち一人ひとりの「小道」を知っておられます。神は暗闇の「洞穴」の中での、祈りと讃美に耳を傾けておられます。
「さあ、立って出ておいで」(雅歌2:10,13)……「洞穴」から出て、神の整えられた道を進んでいきましょう。そうして、わたしたち皆で、天の御国を目指して歩んで行きましょう。 W
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月報4月号
説教 『 わたしに従いなさい 』
マルコによる福音書 2章13節~17節 小河信一 牧師
説教の構成――
序
Ⅰ イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた ……マルコ2:13
Ⅲ イエスは罪人や徴税人と一緒に食事をされた ……マルコ2:15-16
Ⅳ わたしが来たのは、罪人を招くためである ……マルコ2:17
結 ……詩編79:9
序
主イエスによって、ガリラヤ湖畔での伝道が行われています。それは、ただ順調に進んでいったというわけではありません。
具体的には、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)との主イエスの呼びかけに耳を傾けた人もあり、そうでなかった人もいたことでしょう。また、病気の癒やしや悪霊祓い(同上1:34)に熱狂した人も、その効力に疑惑の目を向けた人もいたことでしょう。
こういう状況において、人間的な知恵では、反響の大きいところや皆の受けの良いところを狙っていこうとなりがちです。しかし、主イエスはひたすら父なる神に御心に添って、困難に向き合って伝道されました。目先の成果に思い悩むことはありませんでした。時に、おびただしい群衆から離れ去って、湖畔や山辺で祈られることもありました(マルコ1:35、3:7、6:46)。
では、人を分け隔てしない、伝道という観点から、次のような人に、主イエスはどのように接せられたのでしょう?
自分の仕事場を持っていて、金持ちそうな人(ルカ19:2)、しかも今、どっしりと自分の椅子に座って仕事に励み、なおかつ、人の出入りを警戒している人……このような人に対して、わたしたちは「語りかけにくいな。出直して来よう」と思ったりしないでしょうか。
アーメン、主イエスは人を分け隔てなさらないお方でした(ローマ2:11)。徴税人のレビやザアカイをしっかりと見つめて、ご自身の方から声をかけられました。その上、彼らの家を訪ねられました(マルコ2:14-15、ルカ19:5)。その姿勢は、ガリラヤ湖のほとりでも、エリコの町でも一貫していました。主イエスは歩きながら、ごく自然に伝道されました。
主イエスご自身が、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(Ⅱテモテ4:2)との勧めを実践されました。初期のガリラヤ伝道から、その一幕を垣間見てみましょう。
Ⅰ イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた
マルコ福音書2:13――
イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。
主イエスはガリラヤ湖畔を歩いておられます。遠くの山々まで見渡せる、円い湖の一端で、主イエスは何を考えておられたのでしょう。湖水のさざ波のように、「神の国」の福音が広がってゆくことを願っておられたのでしょうか。
「湖のほとり」の場面がわたしたちの心に印象づけられています。その光景とは――
「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた」⇒「群衆が皆そばに集まって来た」⇒「イエスは教えられた」……ここには、主イエスと群衆との間に、平和な循環があることは見て取れます。福音を宣べ伝えておられる主イエスと、それを聞くために集まっている群衆との光景が、「再び」という繰り返しの中に映し出されています。
一方、主イエスは恵みと平和を祈りつつ、幾度も湖畔を巡っておられたことでしょう。他方、群衆は、見慣れつつある主イエスの御姿と反復される御言葉を通して、「主イエスがどのようなお方であるか」(マルコ8:27,29)を知るようになったことでしょう。もちろん、その人々の受け止め・理解は、御言葉の力が一人ひとりの心身に注がれることに拠るものです。その人が心を開いて、聖霊の宿った御言葉を聞くかどうかに掛かっています。
その実例が、「アルファイの子レビ」によって示されます。
Ⅱ レビは立ち上がってイエスに従った
そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
ここに、いわゆる取っつきにくい人がいました。彼は仕事熱心な金持ちで、町の人々からは嫌われていました。
レビは自分の町またはその領内で、物品や通貨の流通を監視する立場にありました。当時、ガリラヤ地方もローマ帝国の支配下に置かれていましたから、ユダヤ人レビの態度には微妙なものがありました。すなわち、ローマ人にはこびへつらいながら、自分の職を守るのを第一に、税を納める地元民には、飴と鞭を使い分けるということです。
そうすると、その日の気分や隠れてもらう賄賂などによって、収税人としての「正しさ」がゆがめられてしまいます。当時、親の代からその職業を受け継いだとしたならば、自分のゆがみや悪い習癖にすら気がついていないこともあり得ましょう。憐れむべき人であるに違いありません。
「そして通りがかりに」、なんの躊躇もなく自然に、主イエスは路傍の人に語りかけられました……「わたしに従いなさい」。それは、漁師のペトロやアンデレに呼びかけたのと、同様のものでありました(マルコ1:17)。それは、狭まりがちだったレビの心を解き放つものでありました。
普通に考えるならば、レビは「収税所に座って」仕事をしていました。税務など「計算をしている最中」の人に声かけするのは憚られます。しかし、主イエスは、「湖で網を打っている」ペトロたち(マルコ1:16)に呼びかけられたように、最善の時にレビを召し出されました。
「わたしに従いなさい」との御声は、人間にとっさの決断を迫ります。人間が用意できているかどうかは問題ではありません。レビは自分の仕事をうっちゃって、新たな使命に転じました。そのことを証しするかのように、「彼は立ち上がってイエスに従いました」。
レビは主イエスの御声の力によって目覚めさせられました。「徴税人」レビは良くも悪くも、町で影響力を持つ人でありました。彼がイエスに従ったとのうわさも、ガリラヤ湖畔を駆け巡ったことでありましょう。レビを取り巻いた福音の波は、すぐ後に起こる出来事にも及んでいきました。
Ⅲ イエスは罪人や徴税人と一緒に食事をされた
マルコ福音書2:15-16――
15 イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
主イエスは「レビの家」を訪ねられました。この時、レビは自分の「家」と「食事の席」を提供し、背後に退きました。おそらく、客人の足を洗って迎え入れ、「仕える人」(Ⅰコリント3:5)に徹したということでありましょう。
徴税人「レビの家」は主イエス・キリストの行いと言葉によって清められました。それは、これからいつも、主イエスが聖霊を通して、「レビの家」に宿っておられるということです。主イエスというお方が「レビの家」の「隅の親石」になられました(マルコ12:10)。実際、この家の「食事の席」で、主イエスの宣教の原点となるような御言葉が披露されました。
「多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた」……主イエスによる「徴税人」レビの召命が効果的に波及しています。一人の「徴税人」から「多くの徴税人」へ、神が計画を立てておられるとは、まさにこういうことなのでしょう。
本文には叙述されていませんが、主イエスが中心に座っておられる「食事の席」の場面について、次のように想像されます。すなわち、主イエスは「パンと魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、レビはじめ仕える者たちに渡しては配らせ、魚も皆に分配された」(参照:マルコ6:41)ということです。「天を仰いで賛美の祈りを唱える」、つまり、神が聖別された「命のパン」(ヨハネ6:35)が祝福のうちに分け与えられたということが、何より重要です。
そしてこのような「食事の席」に、「多くの徴税人や罪人」が招かれていました。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる」との平地での説教(ルカ6:17,20-21)通りのことが今、起こっています。主イエスは「レビの家」の中で、その御言葉を実現させました。
わたしたちもまた、聖餐式により、神の祝福に満ちた聖なる食事にあずかっています。そこに座っているのは、単なる「罪人」ではありません。そうではなく、主イエスが招き入れられた「罪人」、主イエスの御言葉を聞き入れた「罪人」です。
そのような「徴税人や罪人」について、「実に大勢の人がいて、イエスに従っていた」と述べられています。「大勢の人」が自分の人生をうっちゃって、主イエスと共に生きる者に変えられました。彼らは主イエスと出会い、主イエスを信じるようになりました。
そこに、「ファリサイ派の律法学者(たち)」が現れます。彼らは、信仰によって大いなる逆転を遂げた「罪人」たちを受け入れることができませんでした。なぜなのでしょうか?
一つは、「主イエスがどのようなお方であるか」が分かっていなかったから。
イエス・キリストを救いの御子、あるいは、罪を贖うお方であると信じていなかったということです。
もう一つは、「徴税人や罪人」を祭儀的に「汚れた者」として捉えていたから。
「ファリサイ派」や「サドカイ派」(マルコ12:18)の人々によれば、自分たちのふさわしいと考える時と場所において、「罪人」は、清められなければなりませんでした(レビ記11章-17章)。自分たちは権威をもって律法を厳守し、清めの手続きを執り行うと考えていました。
付け加えれば、「ファリサイ派」や「サドカイ派」の人々は根本的には、罪人を清め、病人を癒やすのは、主なる神の御業であると信じていました(出エジプト記15:26、エゼキエル書36:33)。そこで、律法に沿って、清めや癒やしの儀式をつかさどり、清められたことや癒やされたことを宣言するというのが祭司の務めでありました(参照:2023年9月24日の説教 マルコ1:40-45)。
ともかくも、清めと癒やしの御業をなす主なる神と、主イエス・キリストとが、「ファリサイ派」や「サドカイ派」にとっては結び付かなかったのであります。というのも彼らは、主イエスの「父なる神がわたしを遣わしたのだ」(ルカ4:18)との言葉に耳を塞いでいたからです。その上、彼らは律法の権威者としての立場、あるいは、儀式の献げ物・受け取り機会が失われるのを危惧していたのかも知れません。
一方、ファリサイ派の律法学者は、弟子たちに向かって不平をつぶやきました。この敵対者は自分の本心を隠していました(マルコ3:6)。他方、主イエスは敵対者を含め「食事の席」の一同に答えられました。
Ⅳ わたしが来たのは、罪人を招くためである
マルコ福音書2:17――
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
主イエスが愛と知恵に満ちた言葉を発せられました。わたしたちは聖霊に導かれるように祈り、これに耳を傾けなければなりません。
主イエスの発言には、諺ふうの二つの句が用いられています。次のように書き改めれば、二つの句の並行性は一目瞭然でしょう。
「医者なるわたしが来たのは、丈夫な人を診るためではなく、病人を診るためである。」
⇑ 常識 《メッセージ上の落差》 ⇓ 人の心に思い浮かびもしなかったこと
*《落差》をつくり出して、はっと!させる論法
「メシアなるわたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
問題は、この二つの句のつながりと、それぞれの内容です。ポイントは二つに絞られます。
・一つ目の常識的な内容を持つ句を前置することにより、驚きの内容を持つ二番目の句へと滑らかに導入する。
・そうして、聞き手を、世の中の常識から福音の世界へとジャンプさせる。
主イエスの巧みな説教こそが、「罪人」をジャンプさせる原動力になっています。それは、聖書的に言えば、わたしたちは聖霊の導きによって、「罪人を招く」イエス・キリストを信じるということです。
ここには、徴税人レビの事例の通り、この人は「悔い改め」そうな善い人だから、「招こう」というような予見は一切ありません(比較:ルカ5:24)。このテキストが語る出来事において、どこに比重が掛かっているか、もうお分かりでしょう。
主イエスによって食事の場〈聖餐〉が設けられ、「大勢の人」が招き入れられた、そこで、人々が主イエスに出会った、そして、主イエスの御言葉〈説教〉を聞いて、「多くの徴税人や罪人」が主イエスを信じたということです。不足も余分もありません。これが、主イエスの伝道であり礼拝です。
主イエスはガリラヤ湖畔の伝道においてすでに、将来の教会設立を見通しておられたということも分かります。主イエスはガリラヤ湖の南方を、山々の向こうのエルサレムを望み見ておられたのではないでしょうか。「神の神殿」(歴代誌上29:2)の立つ都で、主イエスは十字架につけられて死を遂げ、三日後によみがえられます。そうして、50日後、天下のあらゆる国からの帰還者が見ている中で、「神の教会」(使徒20:23)が建てられます(同上2:1,5)。
そこに、大勢の「ガリラヤの人」も集っていました(使徒2:7)。彼らは、聖霊の降臨を通して、死んでよみがえられたイエス・キリストに出会いました。彼らの中には、ガリラヤで主イエスが弟子たちに告げられた御言葉を伝え聞いていた人もいることでしょう……「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」(マルコ9:31)。突然、激しい風が吹いて来るように、聖霊が降った日に、「主イエスがどのようなお方であるか」が明らかにされました。
結
ある意味では、主イエスとレビの出会い、ならびに、レビの家での食事は、ガリラヤ伝道の一コマに過ぎません。しかし、主イエスがどこでも、いつでも、大切に心に留めていることがあります。
それが、ご自身の十字架と復活の御業によって、父なる神の栄光を現す(マルコ8:38、使徒3:13)ということでありました。永遠の昔から、御父と御子は、預言者や詩編詩人の口を通して、「あなたの御名」をあがめ(詩編79:9)、その「栄光」をほめ歌うよう(同上66:2)、民を導いてこられました。それに続くわたしたちの讃美は、世の終わりまで、御国に入れられるまで続けられるものであります(ヨハネ黙示録11:13、19:7)。苦しい時にも、主イエスがわたしたちと共におられます(Ⅱヨハネ1:3)ので、御国をめざすわたしたちには慰めと希望があります。
御父と御子は、神の「御名」をあがめ、神の「栄光」をほめ歌うわたしたちに、「罪を赦す」と宣言してくださいました。「わたしが来たのは、罪人を招くためである」との主イエスの御言葉が聞こえたと同時に、「わたしたちの罪」は赦されました。
わたしたちには、無償の恵みにほかならない、赦しによって、神とわたしたちとの交わりが築かれています。いつでも、立ち上がって、主イエスに従えるように、詩編詩人と共に祈りましょう。
わたしたちの救いの神よ、わたしたちを助けて
御名のために、わたしたちを救い出し
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〈説教の要約〉
2024年 4月21日
復活節 第4主日
旧約聖書 エレミヤ書 22章18節(P.1217)
新約聖書 マルコによる福音書 3章31~35節(P.66)
説 教「わたしの兄弟、姉妹」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅰ ああ、わたしの兄弟、ああ、わたしの姉妹
……エレミヤ書22:18
Ⅲ 見よ、わたしの兄弟が ……マルコ3:33-34
Ⅳ 神の御心を行う人 ……マルコ3:35
結
序
ガリラヤの湖や山を舞台に、主イエスの伝道が進められています。
大きな流れを整理しましょう。主イエスは或る家に入られました。すると、そこに、身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来ました(マルコ3:21)。それから今度は、律法学者たちがエルサレムから下って来ました。そして今回の場面になりますが、イエスの母や兄弟姉妹がその家を訪ねてきました。
そうです(あなたの感じ取られたように)、マルコ福音書記者は、「なんだか、うるさい人々がまとわりついているなぁ」という状況を映し出そうとしています。主イエスを中心に、内側と外側、二つの円を思い描いてみましょう。
その外側の円周上を巡っているのが、身内の人たち、律法学者たち、イエスの母や兄弟姉妹です。彼らは彼らなりの言い分をもって、主イエスから距離をとっています。だから、家の中で伝道しておられる主イエスに近づこうとしません。
マルコ福音書記者が、主イエスの「回り」を描き出すのに長けていることは、本文で説明します。その巧緻な筆遣いをもって、「神の家族」という主題を展開しています。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133:1)……古くて新しい、その主題が、主イエス・キリストを中心に据えることによって捉え直されています。
Ⅰ ああ、わたしの兄弟、ああ、わたしの姉妹
エレミヤ書22:18――
主はこう言われる。
ああ、わたしの姉妹」と言って彼の死を悼み
これは、ユダ王国の終わりから三番目の王、ヨヤキム(在位:前608-598年)が死んで葬られる時についての預言です。バビロンの王ネブカドレツァルからの圧迫が強まる中、ヨヤキムは衰退していく国の舵取りをしなければなりませんでした。
預言者エレミヤは、神礼拝をおろそかにしているヨヤキムに鋭い批判を向けました。ヨヤキムの不信仰は民衆への横暴に及んでいました……「あなたの目も心も不当な利益を追い求め 無実の人の血を流し、虐げと圧制を行っている」(エレミヤ書22:17)。
ヨヤキムは父王ヨシヤの信仰深さも、質素な生活も受け継ぐことがありませんでした(エレミヤ書22:15)。その上、エジプトのファラオから威圧され、ヨヤキムは国に重税を課し、民から厳しく税を取り立てました(列王記下23:35)。
神に背き、民から嫌われました。自業自得とは言え、ヨヤキムは哀れな最期を迎えます。
「ああ、わたしの兄弟 ああ、わたしの姉妹」というのは、愛していた者が死んだ際の嘆きです。魂からの慟哭です。しかし、ヨヤキムの葬儀では、そのような嘆きの声は聞かれません。
ユダ王国の歴代の王の中で、ヨヤキムは最も評価が低いと言えます。エレミヤはその王の葬儀を例示して何を訴えているのでしょうか?
それは、ヨヤキムが神の御心に適わなかった、反逆者であったと共に、人々との交わりにおいて思いやりの全く無い人であったということです。「無実の人の血を流した」、その罪を悔い改めなかったのです。要するに、神の光のもとで、人々と「互いに交わりを持つ」(Ⅰヨハネ1:7)のと、ほど遠い人生を送ることになりました。
その結果、「ああ、主(=ご主人様)よ、ああ陛下よ」と敬われることも、「ああ、わたしの兄弟」と親しまれることもなかったのであります。それが、その人物の最期だったのです。悲惨なことであります。
しかし、これは単に、主の目に悪とされることを行った、冷酷な人物の例外的な逸話ではありません。隣人から、その時、「ああ、わたしの兄弟 ああ、わたしの姉妹」と嘆かれるかどうか、大概は確証など持てません。いや、人生の今を生きることに精一杯なのだから、と言われることでしょう。
エレミヤのヨヤキムへの預言を通して、次のことが明らかにされました。すなわち、礼拝共同体の中で、神の愛に基づいて、「互いに交わりを持つ」ことが大切だということです。
不幸にも、ヨヤキム王は、より権力のある人間(ネブカドレツァルやエジプトのファラオ)に支配され、また、経済的な混乱(民への重税や国家財宝の収奪 歴代誌下36:7)に陥りました。しかし、ヨヤキム王の生きた紀元前七世紀末のみならず、そのような災いは、今日でもわたしたちを見舞うことがあります。
主イエス・キリストは、わたしたちがこの世で生きる困難をご覧になっておられます。主イエスは「世の光」(ヨハネ8:12)として、罪の誘惑の恐ろしさを照らし出してくださいます。それに加えて、主イエスは、兄弟姉妹が「互いに交わりを持つ」家なる教会を建てるようにと導かれました。そこに、血縁を越えた形で、「神の家族」が作られるよう、聖霊による励ましと慰めが注ぎ込まれています。
それでは、「神の家族」という主題について、主イエスがその行いと言葉をもって教えておられる場面を読んでみましょう。
Ⅱ イエスを捜す母と兄弟姉妹
マルコ福音書3:31-32――
31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
〈外〉(:31,32 2回)と〈イエスの周り〉という二重の円をもって、当時の状況が表されています。反感を抱いている〈外〉側が無理やり、内側に押し迫っています。「外に立っている」人々が、御言葉に耳を傾けている平和な場所、食事をしている可能性のある(マルコ2:15,16)なごやかな家を打ち壊そうとしていました。
イエスの母や兄弟姉妹(例えばイエスの兄弟ヤコブ マタイ13:55)は同じように、〈外〉周上にいた身内の人たちや律法学者たちに感化されていました。すなわち、「あの男は気が変になっている」(マルコ3:21)とのうわさや「あの男はベルゼブルに取りつかれている」(同上3:22)との独断を鵜呑みにしてしまいました。だから、気が変でない自分たちの方が正しいという、負のスパイラル(螺旋)から抜け出せなくなりました。
「人をやってイエスを呼ばせた」……それが当然あるかのように、母や兄弟姉妹はイエスを〈外〉へ引きずり出そうしました。この尊大さは、神の人エリシャ(列王記下5:8)に対する、アラムの軍司令官ナアマンの態度を思い起こさせます。
列王記下5:11――
ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼(エリシャ)が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。」
儀礼的・慣習的には、エリシャは戸を開いて、外に出て、ナアマンを迎えるべきだったかも知れません。しかしその時、問題になっていたのは、どのように神の癒やしの御手にあずかるか、ということでありました。救いを求めているとき、常識にこだわっている人には、神の大いなる御業が見えません。
「外であなた(イエス)を捜しておられます」との言葉には、〈外〉のわたしたちがあなたを正しい位置に据え直すとの意図が隠されています。それはある意味、「捜し」出して、懲らしめるということでありました。〈外〉のわたしたちがあなたの性根を入れかえさせてやる、との意気込みです。
端で、イエスの母や兄弟姉妹の形相を見ていた人は怖かったに違いありません。彼らのことはすぐに主イエスに伝達されました。
Ⅲ 見よ、わたしの兄弟が
マルコ福音書3:33-34――
33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」
神の人エリシャと同様に、主イエスは家の中におられて、〈外〉に出て行くことはありませんでした。ここでは、マルコの巧緻な筆遣いによって、主イエスの「回り」が描き出されています。それによって、主イエスがたとえを用いて語られ、そして食事をされる家の中のたたずまいが伝わって来ます。
「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」……主イエスは「周りに座っている人々」に問いを出されました(他にマルコ2:9、3:4)。それによって、「周り」の人々とのより親しい関係が築かれます。
傍らにいる人々への主イエスの気配りは、「周りに座っている人々を見回して」との動作からも分かります。「彼の〈回りに〉〈まるくなって〉座っている人々を見〈回して〉」というように、「回り」の類語が3回強調されています。さらに、次の32節に「大勢の人が、イエスの〈周り〉に座っていた」と記述されています。もはや、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」との問いの答えが出されているではありませんか。
主イエス・キリストを中心に、〈まるくなって〉座っている「兄弟姉妹」、その姿にこそ、「わたしの兄弟」と「わたしの姉妹」の出発点があるということです。この光景こそ、主イエスが「見なさい」、心に刻みつけなさい、と言われているものです。
お気づきのように、この主イエスの言葉は、「見よ、兄弟が共に座っている」との詩編(133:1)にさかのぼります。この一節を会堂の礼拝や家での食事の際にユダヤの民は歌ってきました。それによって、苦難をくぐり抜け、血縁を乗り越えて、異邦人を含め、「兄弟姉妹」の集う礼拝共同体を作り上げました。
ユダヤの民は自分たちの王(ヨヤキム)を葬るとき、「ああ、わたしの兄弟 ああ、わたしの姉妹」と言って嘆きえないような辛苦を味わいました。「神と隣人を愛せよ」(申命記6:5、レビ記19:18)との最も重要な教えが揺らがされるような出来事もありました。
罪の闇を引き込まれそうなとき、神は「見よ / 見なさい」(ヘブライ語 ヒネー / ギリシア語 イデ)とわたしたちに呼びかけてくださいます。主イエスと周りに座っている人々……「愛」の形が、「見よ」、ここにあります! 神はこの世の闇が押し迫る中で、御子、イエス・キリストを遣わされました。御子はわたしたちの間に、「見よ、ここに」との言葉をもって愛の交わりを作ってくださいます。
Ⅳ 神の御心を行う人
マルコ福音書3:35 主イエスの言葉――
「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
最後に主イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」との問いに自ら答えられます。その答えの力点は、「だれか」ということよりも、むしろ、「わたしの母、わたしの兄弟」はどのようなことを「行う」のか、という点に置かれています。
「神の御心を行う人」は「だれでも」、「わたしの兄弟」となり得るということです。ここで間違えてはならないのは、「神の御心を行う」ことが、主イエスに「わたしの兄弟」として認められる条件では決してない、ということです。
今まさに主イエスは、車座になっている一同に向かって、「見よ、兄弟が共に座っている」と告げておられます。すでに述べた通り、「見よ」は単に「見てください」という意味ではありません。神の愛の力において、個性や生活の相異なる兄弟姉妹が一つになっているのを、「見よ」と言っているのです。
言い換えれば、通常わたしたちの見いだし難い神の臨在が、一つの家の場で現出しているのを「見よ」と命じているのです。主イエスが真ん中に座って、神の国について語っておられます。謙遜な家人の供する食事の席で、主イエスはパンを裂き、杯を祝しておられます。その出来事を通して、神の「愛」が現れているということです。
「神の御心を行う」というのは、「わたしの兄弟」となる条件ではなく、神からの招きです。主イエスは、「神の御心を行う」ことに怠慢になる人間の「弱さ」を見抜いておられます。同時に、「自分の計画を成し遂げる」人間の「強さ」をご存じです。
主イエスは今、或る家の〈内〉から、内外に向けて、「神の御心を行う人こそ……」と呼びかけておられます。すべての人間が、その「弱さ」と「強さ」をかなぐり捨てて、家の〈内〉に入って来るよう招いておられます……「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)。
主イエス・キリストは、「神の御心を行う」はじめのひとでありました。実はマルコ福音書において、「神の御心を行う」との表現は、もう一回しか出てきません。
マルコ福音書14:36――
(イエスは)こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
これが、ゲツセマネの祈りです。「(神の)御心に適うことが行われますように」と、もだえ苦しみながら祈られました。マルコ福音書は、「神の御心を行う人」すべてが、十字架につけられる直前の、この祈りに立ち返らねばならないことを指し示しています。
そのためにまず、「わたしが願うこと」を捨て去らねばなりません。そのために、「この二人(ヤコブとヨハネ)も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」(マルコ1:20)と告知されているように、ひとたび肉の思いを断ち切ることです。
そうして一人ひとりが、神の国をめざし、励まし合う「わたしの兄弟、わたしの姉妹」につながれます。そこに、血縁を越えて、「互いに交わりを持つ」家なる教会が建てられます。
まず第一に「神の御心を行う人」に問われているのは、「(神の)御心に適うことが行われますように」と祈られた主イエス・キリストに、すべてゆだねますか、服従しますか、ということです。「自分の計画」や肉親とのつながりを、神にあずけるのです。
主イエス・キリストは「神の御心」に添って、十字架の苦難を耐え忍ばれ、死んで葬られて、よみがえらされました。そこに、「神の御心を行った」はじめのひとの御姿があります。そのお方につき従ってゆくのが、「神の御心を行う人」であります。
結
十二使徒の召集(マルコ3:13-19)に続いて、主イエスのもとに、「わたしの兄弟、わたしの姉妹」が招き入れられました。そこに、神の広い愛があらわされています。コリント教会においても、まず土台を据える人やそれを建てつぐ人などの指導者が立てられ、ついで、神の賜物を生かすよう多くの人々が呼び出されました(Ⅰコリント3:9-10、12:28)。
主イエスは祈りをもって、「(神の)御心に適うことが行われるように」、と立ち向かわれました。それが、「汗が血の滴るように流れ落ちる」切なる祈りでありました(ルカ22:44)。その時、「わたしの兄弟」たるべき、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの弟子たちは眠っていました。主イエスの祈りに心を合わせることができなかったのです。十字架につけられる直前に、主イエスはひとり取り残される悲しみを経験されました。
しかし、主イエスは父なる神の「御心に適うこと」を成し遂げられました。十字架上で流された贖いの血によって、「わたしの兄弟、わたしの姉妹」の罪を清められました。主イエスは十字架上から、母マリアの行く末を案じて、彼女に呼びかけられました。そのマリアは、キリストの愛によって「わたしの兄弟」として立ち直った、一人の弟子に引き取られました(ヨハネ19:25-27)。
はじめのひと、主イエス・キリストによって、「神の家族」が基礎づけられました。「神の家族」の集う教会は将来に向かって成長していきます。だから、将来を託すべき子どもたちが、真ん中に立たされるよう招き入れられています(マタイ18:2)。
W
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〈説教の要約〉
2024年 4月14日
旧約聖書 イザヤ書 49章24節~25節(P.1144)
新約聖書 マルコによる福音書 3章13節~30節(P.65)
説 教「イエスと使徒たちの宣教が始まる」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅳ 聖霊を冒瀆する罪 ……マルコ3:28-30
序
ガリラヤの湖や山、その美しい風景の中で、主イエスの伝道が進められています。何十年もの間、大事件の起こらなかったような静かな村里に今、霊的な波風が立ちはじめました。充足しているにせよ不満があるにせよ、日々の生活に慣れきってきた群衆は、その霊的な動きに気がついたでしょうか。
主イエスの育ったナザレは、ガリラヤ湖の南西、約20㎞のところにあります。丘の上にあるナザレから海面下のガリラヤ湖畔まで、標高差650mを下って行くことになります。天気のよい日、途中の崖や坂道から眺めると、湖面は鏡のように輝いています。
主イエスは、その多くが平凡な暮らしを送っている民の中に分け入っていかれます。時に家の中で、時に水辺や丘で、まれには湖上から(マルコ4:1-2)と、アクセントをつけながら群衆に語りかけておられます。さらに主イエスは、伝道に節目をつけるかのように、退いて祈りの時を持たれています(同上1:35、3:7)。
そのような巡回伝道の特徴がよく表れている聖書箇所を読んでみましょう。大きなテーマは、主イエス・キリストがどのようなお方であるのか、ということです。主イエスはこのたびも、罪の赦しについて説き明かされました(マルコ1:4、2:5-10、3:28-29)。
Ⅰ 主イエスと十二人の任命
マルコ福音書3:13-19――
13 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。14 そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。16 こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。18 アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、19 それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
主イエスは「山に登って、これと思う人々を呼び寄せられ」ました。「山に登った」というのは、父なる神との親しい交わりにおいて、聖なる時を持たれたということでありましょう(出エジプト記19:3、申命記34:1)。そこで、「これと思う人々」・十二名を聖別し、「使徒」、すなわち、神に遣わされた者として立たせたのです。
十二の「使徒」の任命によって、新たなスタートが切られました。すでに、漁師のペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、そして徴税人のレビが、主イエスにつき従う者になっていました。
これによって、態勢が整えられました。そうして、主につき従う人々と共に歩まれるというイエス・キリストの伝道活動がより活発になります。ただ、十二人の中には、「イスカリオテのユダ」が含まれています。彼はやがて、主イエスを「裏切って」、祭司長や律法学者に引き渡します(マルコ14:43-45)。これでは、十二人の「使徒」の結束ばかりではく、行く末が思いやられます。
しかし、主イエスは「使徒」やわたしたちの心配を見越しておられました。
イエスは(弟子たち)一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
「人の子が栄光の座に座る」というのは、主イエスは十字架につけられて死を遂げ、よみがえさせられて、天に戻られる時を指しています。何よりも、御子、イエス・キリストの使命はこの世の深い闇の中で、父なる神の栄光を現すことでありました(ヨハネ17:1,4)。だから、十字架の道行きにおいて、「このユダがイエスを裏切る」ことは、父と御子の御計画の確かさを証ししているのです。
このように主イエスは、将来を見据えながら、神に仕えるよう召された人間を用いられました。神が「使徒」一人ひとりに与えられた賜物を、主イエスは最大限に引き出されました。その伝道の中心は、彼ら一同に、「宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせる」ということに置かれました。
「悪霊」は、「あなたは神の子だ」と叫び、善なる者であるかのごとく偽装する、したたかな敵です(マルコ3:11)。「使徒」たちは、その敵を「追い出し」ながら、自らの信仰告白の真偽を省みることになります。苦難を越えて、最後まで、「神の子」に従う僕となれるよう、日々に祈らなければなりません。
さまざまな難に遭ったパウロの事例(Ⅱコリント11:23-28)を持ち出すまでもなく、「使徒」には苦労がつきものです。しかし、彼らが主に召され立たされた原点には、主イエスが「使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため」であったという恵みの事実が在りました。
「使徒という名付け」は、主イエス・キリストが彼らの全存在を造り、支え、守ることを表しています。そして、彼らが派遣され孤独を感じるときにも、「使徒」を「自分のそばに置く」と宣言された主イエスが支えておられます。
Ⅱ 主イエスと身内の人たち
マルコ福音書3:20-21――
20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
ガリラヤ伝道の霊的な動きは、時に穏やかに、また時に荒々しく巡ってゆきます。
主イエスは「集まって来る」群衆(マルコ3:8,20)の真ん中にあって、休む暇もありません。そうした状況にありながらも、「おびただしい群衆」の中から一人でも多くの「従う人」(マルコ3:7)がつくり出されるよう努めておられます。民衆と共に座って、「食事をする」機会を持つことができるようにと企図されています。
そうした最中に、水を差すようなことが起こりました。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た」という出来事がそれです。彼らが「身内」の評判を気にしたのか、あるいは、放浪する長男イエスに業を煮やしたのか、正確なところは分かりません。
いずれにせよ、ここに、「神の家族」という主題が浮かび上がって来ました。すなわち、主イエスは徴税人レビなどの「家」での伝道に励んでおられます(マルコ1:29、2:15)。「身内の人たち」の乱入直前に、主イエスが「自分のそばに置くため」(マルコ3:14)に、使徒の一団をつくったのも、真の「神の家族」を提示するためだったのでしょう。
本来ならば、主イエスが「食事をする暇もない」とき、「身内の人たち」がお弁当を差し出して労をねぎらうところであります。しかし、彼らは「あの男は気が変になっている」とのうわさに洗脳されていました。
郷里のナザレとガリラヤ湖とは、約20㎞ 離れています。まずは、そのうわさが正しいかどうか、慎重に見極めるべきでありました。過干渉や先入観などによって行き違いが日常的に起こりやすい、それが「身内」同士の関係ではないでしょうか。
次に、「身内の人たち」のこじれにつけいる人々が現れます。窮地に追いやられた主イエスは、どのように対抗されるのでしょうか。また、主イエスは福音の本筋から逸れてしまいそうなところで、どのように巻き返しを計られるのでしょうか。
わたしたちはまっすぐに福音を語ろうとしているとき、うまく相手から話を逸らされてしまうことがないでしょうか。例えば、主イエスが「①罪の赦しを教える⇒②病気を癒す」(マルコ2:1-12、ルカ5:17)お方であることの全体像を伝えきれないということです。まだその人への宣教の半ばなのに、聖霊からの力の受領不足で、あるいは、相手の無理解に逆ギレして……。神の知恵に満ち、忍耐強い主イエスの様子を見てみましょう。
Ⅲ 主イエスと悪霊の頭
マルコ福音書3:22-27――
22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。」
「あの男は気が変になっている」(マルコ3:21)との身内のうわさに、律法学者たちは輪をかけるかのように、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い放ちました。うわさがうわさを呼ぶとは、まさにこのことです。「ベルゼブル」とは、「悪霊の頭」の名称で、「家の主」という意味です。
律法学者たちはまず、主イエスが気の触れた者であると断定しました。そして、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と述べました。これが、福音の本筋から遠ざけさせる元となる言葉です。
確かに、十二使徒の使命においては、まず宣教ですが、その次に悪霊追放が来ます。悪霊の働きには留意しなければなりません。しかしここでは、「悪霊の頭」と「悪霊」が、言い換えれば、「サタン」と「サタン」が戦って、「内輪もめして争っている」というだけの話です。根本的な解決において、悪しき者なる「サタン」すべてが追放されるのを待たねばなりません。何より、「内輪もめ」に巻き込まれることに警戒すべきです。
「内輪もめ」と言えば、「めいめい、『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストにつく』などと言い合っている」(Ⅰコリント1:12)のが、その典型です。教会内でも、ねたみや争い(同上3:3)に乗じた「サタン」の介入があれば、「立ち行かず、滅びてしまう」ことが起こり得ます。
ここで主イエスは、教会という神の神殿が、「家の主」なる「ベルゼブル」によって壊されるやも知れないという話を元に戻されます。すなわち、「まず強い人を縛り上げなければ……」と言って、「強い人」を支配している「より強い方」に目を向けさせます。
そのことは、バプテスマのヨハネの、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる」(口語訳 マルコ1:7)との言葉にも表されています。主イエスはしばしば、「内輪もめ」で混乱している「家」に入って来られます(ルカ10:38-42、マルコ1:29-31)。そして主イエスは、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19)と挨拶して、その「家」の中に、「平和」をつくり出されます。
「強い人」の侵入や略奪に対する「より強い方」の勝利はすでに、旧約聖書に預言されています。主なる神はわたしたちを、「瞳のように愛しておられるもの」(詩編17:8、哀歌2:4)として守ってくださいます。
イザヤ書49:24-25――
時代背景が分かると、メッセージの内容がよく理解されます。
ユダヤの民は、バビロニアによる、エルサレムの破壊とユダ王国の滅亡(前587年)という大惨事を経験しました。その後、国の指導者だった人々を中心に、バビロンに連れて行かれました(列王記下25:7)。しかし、諸国が権力闘争を繰り広げる中で、ユダヤの民に郷里への帰還が見えてきました。その上、主なる神への信仰をもって民がつくり直される願う人々の心に、神殿再建の夢がふくらんできました。
要するに、挫折と希望が渦巻いているような状況でありました。まだ泣いている人もいれば、すでに将来に向けて歩み出した人もいます。どちらが正しいとは言えません。賢明な人々は、今しばらく混沌としていると、受けとめていたことでしょう(エレミヤ書4:23)。
そのようなユダヤの民を動き出させたのが、第二イザヤの告げる御言葉でありました。娘シオンの嘆きが神の救いの言葉によって逆転されています。まさに、おとめマリアの聞いた「神にできないことは何一つない」(ルカ1:37)との御言葉の通りでありました。
〈民の問い〉
❶「勇士からとりこを取り返せるであろうか。」
この二つの、疑い深い問いが主なる神に投げかけられました。娘シオンがバビロニア軍の脅威にさらされ、不安になっているのが、よく伝わってきます。
〈神の答え〉
②「とりこが暴君から救い出される。」
主なる神は、娘シオンの嘆きを汲み取って、救いを告知されています。主イエスが「まず強い人を縛り上げなければ」(マルコ3:27)とおっしゃられた背景には、この第二イザヤの預言がありました。すなわち、主イエスは神の預言を受けて、ご自分が「勇士」や「暴君」、すなわち、悪霊やサタンと闘うのだ、と宣言されたのであります。
そうは言っても、悪霊の誘惑や罪のつまずきは、終わりの時に向けて、わたしたちが向き合わなければならない大問題です(マタイ13:39)。他人から批判や嘲笑を浴びて、動揺することもあります(詩編74:22)。
だからこそ、「わたしが、あなたと争う者と争う(であろう)」と、第二イザヤは告げているのです。原文に即して言えば、「あなた(女性形)の争い」を「わたし」なる神が「争う」と、固い約束がなされています。神が立ち上がって、勝利を手にするまで、「争って」くださいます。
ユダヤの民は、エルサレムに帰還し、神殿の再建に取りかかりました。それが、霊的な復興の第一歩だったからです。わたしたちもまた、「内輪もめ」への誘惑を退けて、神の教会を建てつぐよう、主にあって励まし合いましょう。
主イエスは、常に、「①罪の赦しを教える⇒②病気を癒す」との神の福音の原点に立ち返って、人々を導かれます。
Ⅳ 聖霊を冒瀆する罪
マルコ福音書3:28-30――
28 (アーメン)はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。29 しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。
十二使徒の派遣、身内の人々や律法学者との対立、そして悪魔の誘惑など、主の栄光を現すための試練は今始まったばかりです。すべてがこれから、という状態です。
「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される」……主イエスは「アーメン」との確信をもって、人々に語りかけられました。
わたしたちは、主イエス・キリストの十字架の贖いによって、罪を赦されました。そして、そこで賜った恵みをもって、人の罪を赦します。何度でも赦します……「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(マタイ18:22)。
わたしたちはその赦しを基盤として、神と人を愛し、「神と人とに愛される」(ルカ2:52)ことを願い求めます。そこに、「神の家族」が形成されます。
一つ重大な忠告が記されています。「聖霊を冒瀆する」ことのないように! なぜなら、「聖霊」は、わたしたちに主イエス・キリストの行いと言葉すべてを教えてくださるお方だからです(ヨハネ14:26)。
キリスト者とは、聖霊が降って来るという洗礼を受けた者です。洗礼によって、その人はつくり変えられました。いまだに古い殻を脱ぎ捨てていないかのように、自分は「聖霊」を知らないと言ってはなりません。
主イエスが「汚れた霊」を追放されます。「聖霊」の豊かな実にあずかりましょう(ガラテヤ5:22-23)。
ガラテヤの信徒への手紙5:25――
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
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〈説教の要約〉
2024年 4月7日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活節第2主日
旧約聖書 ヨブ記 5章13節(P.780)
新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 3章18節~23節(P.302)
説 教「あなたがたはキリストのものなのです」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅱ この世の知恵は、神の前では愚かなものです
……Ⅰコリント3:19 + ヨブ記5:13
Ⅳ だれも人間を誇ってはなりません ……Ⅰコリント3:21-22
Ⅴ あなたがたはキリストのものなのです ……Ⅰコリント3:23
序
パウロは今、神の“霊”を受けて、見事な教会論を繰り広げています。「あなたがたは神の畑である」⇒「あなたがたは神の建物である」⇒「あなたがたは神の神殿である」との巧緻な展開(Ⅰコリント3:6-17)は、だれも思いつかないことでしょう。聖なる旧約聖書も、身近な日常生活も、ふんだんに織り込んで、聴衆が聞き飽きないよう心を配っています。
そこには、開拓伝道を行って教会を建てた者、また、教会を建てついで成長させた者としての、経験と労苦が結集されています。
最近よく聞く言葉に、「ヒューマン・エラー」というものがあります。これは、人間が原因となって発生するミスや事故を指しています。結果的に、人間の行動が原因と言っても、さまざまなケースがあります。例えば、先入観や固定観念による「誤認」、肉体的もしくは精神的な疲労による「不注意」、そして、作業慣れやいい加減な行動による「手抜き」です。他に、誰か一人はまじめに作業しているはずという「無責任」も挙げられるでしょう。
その点で、「霊の人」(Ⅰコリント2:15)なるパウロは、信仰上の「ヒューマン・エラー」を見抜く達人でありました。人間が罪悪に惹かれて、どのような過ちを犯すのか、を把握していました。どんなにコリント教会の「建設プラン」が立派なものであっても、人間の犯すもろもろの過ちが看過されているのでは、意味がありません。
教会の「工事中」にも、イエス・キリストの血の贖いによって、人間の罪科が清められなければなりません。そうして初めて、「建設プラン」が血の通ったものとなります。その成長を押し止める「つまずきの石、妨げの岩」(ローマ9:33)は早急に取り除かれるべきです。
では、パウロが信仰上、見出した「ヒューマン・エラー」とは一体、何でしょうか? パウロは人間の内面に食い込むようにして、そのおどろおどろしい姿を暴き出します。
Ⅰ だれも自分を欺いてはなりません
コリントの信徒への手紙 一 3:18
だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
コリント教会の建てつぎ(Ⅰコリント3:10,12)を遠く(トルコ半島のエフェソ)から見守る、パウロの的確な勧めです。まずパウロは、「自分を欺いてならない」と、信仰上の「ヒューマン・エラー」を洞察しています。
ここで、「自分を欺く」とは、どんなことを指しているのでしょう。「自分をまどわす・だます」と、辞書的に解釈しても、よく分かりません。前からの文脈に沿って言い換えましょう。
そこで、「だれも思い違いしてはなりません」(参照:Ⅰコリント15:33)と訳し直しましょう。すなわち、罪に陥っている人間は、「神の知恵」(Ⅰコリント1:21、2:7)と「世の知恵」(Ⅰコリント1:20、3:19)とを取り違えるという「思い違い」を起こしているのです。
どうして、そんな大それた「思い違い」を起こすのか、それは、彼らが「肉の人」で、「神の霊に属する事柄を受け入れない」からです(Ⅰコリント2:14、3:1)。彼らは一見、豪華絢爛な「この世の支配者たちの知恵」(同上2:6)に毒されてしまっています。結局、彼らは神の前においてすら、自分を誇っているのです(同上1:29)。
「もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら」とのパウロの婉曲な語りかけをしっかり受け止めて、自分が「世の知恵」に染まっていないか、省みましょう。
「お互いの間にねたみや争いが絶えない」(Ⅰコリント3:3)という時に、「神の知恵」によって介入し助言できているでしょうか。忍耐強く祈っているでしょうか。いやむしろ、火に油を注ぐように、「ねたみや争い」を炎上するに任せているでしょうか。
コリント教会の指導者パウロは、「だれも思い違いしてはなりません」と厳命した後に、信仰上の「ヒューマン・エラー」に対する処方箋を示しています。どうやら、一種類の「薬」を服用すれば良いようです。
「本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい」……神の前で「愚かになる」ことに集中せよ、ということです。ただちに皆さんから、神の前で「愚かになる」とは、どういうことですか、との質問が上がることでしょう。
パウロはこの文脈で、キリスト論に立ち入っていません。手紙の読者には、「キリストにある乳飲み子」(Ⅰコリント3:1)もいるということで、複雑な論述を避けているのかも知れません。
そういう訳ながら、パウロに代わって補足しましょう。つまり、父なる神は、わたしたちが神の前で「愚かになる」ことを知るように、御子、イエス・キリストを遣わされました。
フィリピの信徒への手紙2:7-8――
7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
「宣教という愚かな手段」(Ⅰコリント1:21)とは、まさにことのことです。わたしたちは十字架につけられたキリストによって救われました。これが、信じる者を救おうとされた「神の知恵」であります。
神の前に「愚かな者になりなさい」とは、言い換えれば、聖霊によって、わたしたちが「神の知恵」を授かるということです。キリスト論的には、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決める」(Ⅰコリント2:2)ということです。
これは、補足的な説明です。きっと尋ねたいと思っておられる方がいるはずです。それは、「世の知恵」は全く無駄なものなのか、ということです。「神の知恵」と「世の知恵」とを取り違えるな、ということが大前提ですが、ジャン・カルヴァンは次のように述べています。
「とはいえ、パウロは、わたしたちに生まれながらに与えられている賢さ、あるいは、長い間の習慣によって得られた賢さまでも、全部捨て去るように、とは要求していないのであって、ただ、賢さを神の御用のために服従させるように、と言っているのである。」
わたしたちは信仰上の「ヒューマン・エラー」を犯しやすいことを認めるべきです。そして、聖霊によって、自分の得た「知恵」が神の御心に適ったものかどうかを教えられるという謙虚さを持つことです。
さてパウロは今、「神の知恵」と「世の知恵」とを取り違えてはならない、「自分が欺かれた」ままであってはならない、と警告しています。教会は、「神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいる」(Ⅰコリント3:16)ところであります。従って、意図的か否かを問わず、人間がそこに、「世の知恵」を持ち込むのは、「神の神殿を壊す」ことにつながりかねません。パウロの警告が続きます。
Ⅱ この世の知恵は、神の前では愚かなものです
コリントの信徒への手紙 一 3:19――
と書いてあり、
パウロはこの節と次の節で旧約聖書を引用しています。それによって、キリスト教の福音的理解が徹底化されてゆきます。当時まだ歴史の浅かった教会は、「人間の愚かしさ」(ヒューマン・エラー)についての深い知見を旧約聖書から存分に得ることができました。考えてみれば、それはキリスト者にとって、幸いなことでありました。
従来、旧新約聖書の関係が、「預言―成就」や「審判―救済」の側面から論議されてきました。しかし今、わたしたちが目を向けようとしているのは、旧約の言葉によって、「世の知恵」が打ち砕かれて、「神の知恵」に導き入れられるということです。「(この世的に)知恵のある者」の「悪賢さ」と「論議」が俎上に載せられています。それらへの批判を通して、わたしたちは正しく、十字架につけられたキリストを信じ、宣べ伝えることができるようになりました。
教会を建てついでいく時に重要だからと、パウロが引用した旧約の言葉は、新しい警告として異彩を放っています。この節(Ⅰコリント3:19)の引用元の聖句を掲げましょう
よこしまな者はたくらんでも熟さない。
注目したいのは、「捕らえられる」の原典が「罠にかかる」となっている点です。つまり、神はまるで狩人でもあるかのように、「知恵ある者」の「悪賢さ」や「さかしさ」を略奪するということです。「罠」を用いてでも、「知恵ある者」を征圧するとの決意がみなぎっているでしょう。例えば、あなたの「つの間の繁栄」が神による巧みな「罠」だとしたら……おぞましいことです。しかし、神を恨むよりは、あなたの「悪賢さ」を反省すべきでありましょう。
次節においても、旧約の言葉によって新しい警告が語られます。
Ⅲ 知恵のある者たちの論議はむなしいものです
コリントの信徒への手紙 一 3:20――
また、
「主は知っておられる、
とも書いてあります。
パウロは、「悪賢さ」に続いて、「(この世的に)知恵のある者」の「論議」を取り上げています。これも原典と合わせて、わたしたちの理解を深めましょう。
詩編94:11――
詩編94編の前後の文脈では、人間に知識を与え、律法を教え、そして国々を諭すお方こそが、主なる神である(94:10,12)と述べられています。自分ではそのような神を信じていても、逆らう者や勝ち誇る者の振る舞いによって動揺させられると、率直に物語っています。
しかし、神は、「悪賢さ」による「人間の計らい」を放置されません。「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になった」(創世記6:5)というように、神は洪水をもって地上から「人の悪」を一掃されました。
神は詩人に、この世の知恵に染まった人間の「論議」や「人間の計らい」が「いかに空しいか」を教えました。この「空しい」(ヘブライ語:へヴェル)というのは、「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい」と、コヘレトの言葉の冒頭(1:2)に出てくるものです。「論議」は人間の「息」(へヴェルの別意)のようにはかなく、たちまち消え失せてしまいます。
神は、「この世の知恵」に寄りかかっている人間が「論議」に走りがちなことを見抜いておられました。議論の熱気に冒されている彼らは、「空しい」結果になることを知りません。
ここでパウロは、旧約の言葉に基づき、「世の知恵」を打破し、「神の知恵」へと導入するという勧めを転換します。すなわち、「(この世的な)知恵のある者」から「人間を誇る者」(次のⅣ.)へと話題を移します。いずれにしても、神との正しい関係が問い直されています。
Ⅳ だれも人間を誇ってはなりません
コリントの信徒への手紙 一 3:21-22――
21 ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。22 パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの(なのです)。
「ですから、だれも人間を誇ってはなりません」……これは、教会論の総括に入る前の決め言葉です。過った方向へ行かないように、釘を刺しています。その理由は以下の通りです。
「(この世的な)知恵のある者」は、本来重んじるべき「神の知恵」に対し「この世の知恵」をもって取り替えています。それは、全くの本末転倒です。その思い違いがひっくり返せない要因は何かと言えば、「人間を誇る」ことにほかなりません。
片や、「神の知恵」は時に隠されており、神秘的であります(Ⅰコリント2:7)。片や、「この世の知恵」は時に誇大宣伝され、人心の扇動に悪用されることがあります。
その悪賢い指導者は、人々に「誇り」を植え付けて、思うがままに誘導します。そうして、人々は目に見える、分かりやすい「この世の知恵」の罠にはまってしまいます。だからこそ、狩人なる神が、より強固な罠で「知恵のある者」を「捕らえられ」ます。「その悪賢さによって罠にかかる」(Ⅰコリント3:19 私訳)とは、まさにこのことです。
「この世の滅びゆく支配者たち」(Ⅰコリント2:6)に期待を寄せる人々は、彼らが何でもしてくれると思い込みます。それが、「自分を欺く」(思い違いをする 同上3:18)ということなのです。
それ故に、教会論の総括は、すべてを支配しておられる「神」を念頭に置いて進められます。もはや、「この世の滅びゆく支配者たち」の享楽的世界に舞い戻ることがないように、ということです。
「この世の支配者」や「この世の知恵」に頼れずとも、不安になることはありません。弱さや貧しさを引っくるめて「あなたが何者なのか」は、「神」がその真価を定めてくださいます。「『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおり」(Ⅰコリント1:31)、わたしたちの「神」を誇りましょう。「神」の目に「あなたは価高く、貴い」ものなのですから(イザヤ書43:4)。
このような信仰に基づけば、「すべては、あなたがたのものです」とのメッセージ(Ⅰコリント3:21,22 節の末尾に2回)も正しく受け止められることでしょう。この句を見て、傲慢になる人はいないことでしょう。この短い句に込められた意味を説き明かしましょう。
「あなたがた」とは、「コリントにある神の教会」(Ⅰコリント1:2)を指しています。そこには、「あなたがた」はこの「神の教会」において、神の国へ入れるように備えるのだ、という重大な意味も込められています。正しく、「将来起こることも。一切はあなたがたのもの」との宣言の通りです。
そして何よりもここには、文脈に沿ったアイロニー(皮肉)が打ち出されています。すなわち、「わたしはパウロに」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」(Ⅰコリント1:12)との分派主義が、見事にひっくり返されて、粉砕させられます(A. シュラッター)。もはや、「我らが尊師パウロは偉大なり。アポロやケファはその下僕なり」との自分の指導者推しは姿を消しました。
すなわち、「パウロもアポロもケファも、あなたがたのもの」、彼らは一つの「コリントにある神の教会」に属するものなのです。そこでは、「神の愛」によって「ねたみや争い」が乗り越えられるので、「教会」の一致は揺るぎません。
ローマの信徒への手紙8:38-39――
38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
「ローマにある神の教会」においても、「すべては、あなたがたのものです」との言葉が普遍の真理であると分かります。
Ⅴ あなたがたはキリストのものなのです
コリントの信徒への手紙 一 3:23――
この節はパウロが、「誇る者は主を誇れ」との呼びかけのもとに、讃美をうたっているかのようです。また、これこそが聖霊の導きによって、わたしたちが受け取るべき「神の知恵」であると言えましょう。
最後に、「キリスト」と「神」とが登場しました。教会論が「あなたがた」を創造し支配している「神」によって結ばれています。
「キリスト」は、十字架の死を遂げ、三日後によみがえさせられました。その御業により、わたしたちに永遠の命を与えるとの約束をもって、わたしたちの「死も、命も」引き受けてくださいました。
「キリスト」と「神」との関係については、次の聖句が思い起こされます。
ローマの信徒への手紙11:36――
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
これは、「神」讃美の頌栄です。そして、これは、「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」(ローマ11:33)との神への賛嘆から生まれたものです。「神の知恵」の結晶、ここにあり、と言えましょう。
「神から出て、神によって保たれ、神に向かっている」のは、「すべてのもの」ですが、これは、御子、イエス・キリストに最もよく当てはまります。
ギリシア語原文は、「神から・神により・神へ」との三つの前置詞(英語では out of・through・into)を通して、神へのほめたたえが流れるように奏でられています。同時に、「神から・神により・神へ」との句は、主イエス・キリストの「派遣から・公生涯(受肉 十字架 復活)により・昇天へ」と響き合っています。
「神から出て、神によって保たれ、神に向かっている」という力強い神の働きは、「すべてのもの」の中でも集中的に、主イエス・キリストの御業のために発揮されました。だから、教会の「かなめ石はキリスト・イエス御自身」なのです(エフェソ2:20)。
父と子によって遣わされた聖霊がわたしたちに注がれています。そして、「かなめ石はキリスト・イエス御自身」であると宣告しています。そこに、思い違いや誇り(高慢さ)などの信仰上の「ヒューマン・エラー」が割り込む余地はありません。
なぜなら、「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」から。
W
〈説教の要約〉
2024年 3月31日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活節第1主日 復活日(イースター)
旧約聖書 ダニエル書 7章9節~10節(P.1392)
新約聖書 マタイによる福音書 28章1節~10節(P.59)
説 教「白い衣を着た天使の御告げ」 小河信一牧師
説教の構成――
Ⅱ「日の老いたる者」がそこに座した ……ダニエル書7:9-10
Ⅲ あの方は、ここにはおられない ……マタイ28:5-6前半
Ⅳ さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい
……マタイ28:6後半-7
Ⅴ 婦人たちは恐れと大きな喜びをもって立ち去った
……マタイ28:8-10
序
復活の朝、初めに起こった出来事として注目させられるのは、「主の天使」の降臨です。初めに、墓を見に行った「婦人たち」が、そして次に、主イエスの遺体の納められた墓を見張っていた「番兵たち」が、天から降って来た「主の天使」と出会いました(マタイ28:1-4)。
ついでに言えば、空の墓の場面において、マタイ(28:2)では「主の天使 一人」、マルコ(16:5)では「一人の若者」、ルカ(24:4)では「二人の人」、そしてヨハネ(20:12)では「二人の天使」が、婦人たちに現れたことになっています。四福音書における微妙な食い違いは、ショッキング(衝撃的)な出来事を受容しようとした痕跡とも言えるでしょう。それはともかくも、主イエスの墓に駆けつけた婦人たちと天的な存在とが出会ったという点で、四つの報告は合致しています。今回は、その冒頭に「主の天使」の降臨が昭示されているマタイ福音書に沿って、週の初めの日の朝、どんなことが起こったのか、読んでいくことにしましょう。
特に、「主の天使」の行動と言葉に着目しましょう。注視するために、「何か準備は必要ですか?」……良い質問ですね!
いろいろな回答があるでしょうが、一つ挙げるならば、「聖なるもの」がすっと心に入って来るように、聖霊によって自分の身を清めていただきましょう(ローマ15:16、エフェソ5:26)。
いずれにしても、復活の記事はよく知っているという思い上がりは捨て去りましょう。ただひたすらに聖霊の導きのもとで、婦人たちのように「突然」、空の墓の事件に遭遇することにしましょう。
Ⅰ 主の天使が天から降って来て、石の上に座った
マタイ福音書28:1-4――
1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。4 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
「マグダラのマリアともう一人のマリア」は主イエス・キリストがすでに死んでしまったと思っていました。その証拠に、彼女たちは「安息日が終わると、イエスに油を塗りに行くために香料を買いました」(マルコ16:1)。だから、夜が明けるとすぐに「墓を見に行った」のです。
そこで、死に取り巻かれた「マグダラのマリア」に代表される人間にとって、想定外のことが起こります。人間の計画は頓挫しました……「主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである」。この地上への「主の天使」の到来に先駆けて、「大きな地震が起こりました」。
エルサレムの大地を揺り動かした「地震」の余波が及んできたかのように、「天使が石をわきへ転がしました」。
ここで、映像が止まります……「主の天使がその石の上に座った」。「その姿は……」以下は、石の上に座している「主の天使」についての描写です。この姿の持つ象徴的な意味に関しては、Ⅱ.のダニエル書においてさらに掘り下げてみることにします。
「石」というのは、いわば主イエスの死の世界に封じ込めていた重しです。その「石をわきへ転がし」取り去ったというのは、死からの解放を意味しています。従って、「主の天使がその石の上に座った」というのは、死に対する生の勝利宣言にほかなりません。それに対し、「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」というのは、主イエスに背いた者たちの敗北宣言です。
墓は、死者を葬る(恒久的に葬り続ける)場所であるとの常識が覆されました。言い換えれば、主イエスの遺体の納められた現場に、将来への希望があったということです。
「主の天使」の臨在している場所は、主イエスが死んでよみがえられたところです。「稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」姿をした神の御使いがわたしたちに、死からの復活の信仰を告げています。そこに、わたしたちの信仰の源泉があります。わたしたちが「キリストに対する真心と純潔とからそれてしまう」ことのないように(Ⅱコリント11:3)、「主の天使」が見守っています。
Ⅱ「日の老いたる者」がそこに座した
その車輪は燃える火
流れ出ていた。
幾万人が御前に立った。
巻物が繰り広げられた。
新バビロニア帝国の王・ネブカドネツァル(在位:前604-562年)によって、ユダヤ人が捕囚となって連行され、苦難の時代が始まりました。その子、ベルシャツァルの治世(ダニエル書5:11-13)にも、捕囚民との間に軋轢がありました。
異邦の地に住んでいるユダヤの民の中で、ダニエルは希望の星でありました。というのも、バビロニアの王宮に召しかかえられながらも、ダニエルはじめ四人の若者(ダニエル書1:17,19)が、主なる神への信仰を守り抜いたからです。偶像崇拝のはびこる敵地において、次々と襲い来る陰謀と危難に対し、ダニエルは神の知恵に満ちた賢さと敬虔さをもって立ち向かいました。
上の引用文は、「バビロンの王ベルシャツァルの治世元年のことである。ダニエルは、眠っているとき頭に幻が浮かび、一つの夢を見た。彼はその夢を記録することにし、次のように書き起こした」(ダニエル書7:1)という「記録」の一節です。ダニエルの聡明さを証しするかのように、「記録」の原文は、当時の国際公用語・アラム語になっています。
ダニエル書7章全体は約言すれば、片や、尊大な「第四の獣」(7:7)なる帝国は滅び、片や、ユダヤ人の国はとこしえに続くと預言されています(7:26-27)。そこで、「夢」で見た「幻」を説き明かしましょう。
この「幻」の光景の中心に、「日の老いたる者が王座に座して」おられます。「日の老いたる者」とは、主なる神の別称で、その御姿は権威と支配の力に満ちています。敗北と挫折のうちにある捕囚の民に、神による救いと勝利が告げられています。
ここで思い起こしたいのが、「主の天使がその石の上に座った」(マタイ28:2)という場景です。そこには、天の「王座に座しておられる」父なる神の威光が反映されています。というのも、御父が遣わされた御子、イエス・キリストが死から復活を成し遂げられたからです。死が打ち破られたのを証しする「石の上に」、「主の天使が座して」います。今や、天の「王座」の平安と栄光が、墓を塞いでいた「石」を包み込んでいます。
「日の老いたる者」以外にも、ダニエル書7:9-10には、打ちひしがれた民への慰めの言葉があります。①と②、二つに絞って説明します。
①神の「王座」に関連して、「その車輪は燃える火」と記載されています。この「幻」を解釈してみましょう。
すなわち、主なる神は「車輪」付きの動く「王座」に乗って、地を行き巡っておられます。そうして神は、異教の地でささげられるユダヤの民の礼拝に臨在されています(参照:エゼキエル書1:9-21)。その礼拝のうちに、「雨の日の雲に現れる虹のように」、「主の栄光の姿」があったということです(同上1:28)。
主なる神が「車輪」付きの動く「王座」に乗っているということは、民が都エルサレムに帰還する際、主なる神が寄り添われることを暗示しています。まさに、「あなたたちの先を進むのは主であり しんがりを守るのもイスラエルの神だから」(イザヤ書52:12)との御言葉の通りです。
②「日の老いたる者」に関連して、「その衣は雪のように白く その白髪は清らかな羊の毛のようであった」と描き出されています。すでに言及したように、元来「日の老いたる者」は、天に住んでおられる神を指しています。ここでは、新約の復活の出来事とのつながりが注目されます。
週の初めの日の明け方、突如「主の天使」が主イエスの墓に現れました。「その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」との描写は、天の王座に座している「日の老いたる者」の姿と調和しています。つまり、「主の天使」は天的な存在であり、天からの御使いとして主イエスの墓に遣わされたということです。そして、この「主の天使」の特異なることは、主イエス・キリストの死からの復活によって、主なる神の権威と支配の力を伝えているということです。
わたしたちは、心を開いて、この「聖なるもの」の姿と言葉を受け止めねばなりません。
Ⅲ あの方は、ここにはおられない
マタイ福音書28:5-6前半――
5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
婦人たちの見たこともない、聖なる「主の天使」が目の前に現れ、驚くべきことを語ります。その点で、「恐れることはない」との語りかけは的確です。このひと言によって、人知をはるかに超えた救いの出来事を受け容れる態勢が整えられます。
「(あなたがたは)十字架につけられたイエスを捜しているのだろう」……主の天使の介入は、御言葉をもって、それも問いかけをもって、行われました。婦人たちが考えを改めるよう導いています。
つまり、婦人たちは今、「十字架につけられたイエス」は「死者の中に」属していると見ています(ルカ24:5)。しかし、天からの御使いは、「生きておられる方」なる主イエス・キリストを「死者の中に捜す」のは誤りだと、彼女たちに気づかせようとしています。
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」……言い換えれば、あの方は、確かに死んでよみがえられた、「空になった墓」はその一つの証拠である、ということです。
「かねて言われていたとおり」……これは、婦人たちへの大きな助言です。というのも、主イエスは、ガリラヤ湖畔やエルサレムへの旅の途次で、〈受難―死―復活〉の予告を繰り返されていたからです(マタイ16:21、17:22-23、20:18-19)。ガリラヤから従って来た婦人の多くが、この予告の重要性を感じ取ったことでしょう。今や、この予告は実現されました。主イエスの御言葉を思い出すことを通して、格段と「恐れ」が軽減されたに違いありません。
Ⅳ さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい
マタイ福音書28:6後半-7 天使→婦人たち――
6 「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』 確かに、あなたがたに伝えました。」
「さあ、見なさい。…… それから、こう告げなさい」……婦人たちは今、遺体に香油を塗る女としてではなく、主イエスの墓に起こったことを証言する人として立たされています。
「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」……その命令に対する応答は、「何もありません」ということです。女は、用意した高価な「香油」(マルコ16:1)をそこに置いたまま、弟子たちのもとへ駆けてゆくことでしょう(参照:ヨハネ4:28)。
そうして、「空になった墓」が見いだされたとして、それだけで、主イエス・キリストがどのようになったのか、を教えてはいません。死体が盗み出された可能性もあります(マタイ27:64)。
それ故に、十字架の丘と新しい墓で起こった「この出来事」全体とつなげられた時に、婦人たちの体験と証言とは初めて、意味あるものとなります。すなわち、「死者の中から復活された」主イエス・キリストを信じることによってはじめて、「空になった墓」は神による出来事の真実を告げるものとなります。
「(あの方は)あなたがた(弟子たち)より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」……主イエス・キリストと出会うことが強調されています。主イエスを見捨てて逃げた「弟子たち」に向かって、必ず「お目にかかれる」(お会いできる)と告げられています。
主イエスは人間よりも、ずっと先回りをしておられます。すなわち、ペトロたち・弟子が自分の故郷に帰り、さらには漁師に戻ろうとする(ヨハネ21:1-3)ことを見抜いておられます。しかし、ペトロたちはガリラヤ湖はじめ懐かしい町や村の景色を前にして、途方に暮れます。一匹の魚も獲れていない網を見て、空しさが増すことでしょう。
そこに、「先にガリラヤに行かれた」主イエスが現れました。主イエスの方から弟子たちに声をかけられました(ヨハネ21:4-5)。
彼らに求められているのは、空しさのどん底で、罪の苦しさの極みで、主イエスの招きに応答することです。今、人生の瀬戸際で、主の方へ方向転換するチャンスです。
ここで、一歩踏み出すのは、弟子たちの決断です。暗い夜が明けて、朝の光が射し込んで来ました。愛する婦人たちの告げてくれた「週の初めの日の明け方」の出来事を、自分たちの人生の基とするチャンスが巡って来ました。わたしたちは、そのことを覚えて、復活の朝につながる主の日の朝に礼拝を守っています。
やり直すのに遅いということはありません。主イエスはあなたの貧しさやつまずきを見越して、先回りされるお方です。最もふさわしい時と場所に、突然、主イエスは現れます。そのような主イエスの執り成しが行われるように(ローマ8:34)、聖霊なる神がいつも、わたしたちの傍らにおられます。
マタイ福音書28:8-10――
8 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
主イエスが十字架の死を遂げられた夕べ、「婦人たち」は、「遺体を納めた場所を見つめて」いました。その場に座り込んでいました(マタイ27:61、マルコ15:47)。三日の後、彼女たちは、主イエスのよみがえりを目撃した人となりました。そしてこれから、証言する人として歩んで行くこととなりました。
聖書は、そのような新たな使命を負った「婦人たち」の姿を捉えています。彼女たちは、「キリストと共に葬られ、その死にあずかる」(ローマ6:4)とは、どういうことなのか、を体現しています。彼女たちは神の召しを受けて立ち上がりました。天的な存在との出会いと力ある御言葉に支えられて、この地上での働きを全うします。
「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り」……「恐れと大きな喜びをもって」というのは、どういうことでしょうか?
主の天使が婦人たちに出会ったとき、初めに「恐れることはない」と語りかけました(マタイ28:5)。それならば、この人たちはその命令に従いきれていないのでしょうか。いや、そうではなく、よみがえりの命に対する喜びが、死に対する恐れを打ち払いつつある、ということでしょう。これが、ゴルゴタの丘から園の墓へ移動しつつ、事態を見守っている人の現実であります。
そして、主イエスが婦人たちの「行く手に立っていて、言われた」という「おはよう」との言葉こそが、彼女たちの直面している現実にふさわしいものでありました。
そこには、復活の朝の出来事を「おはよう」のと挨拶を交わすごとに思い起こしなさい、とのメッセージがあります。また、「おはよう」との原意は「あなたがたは喜びなさい」ですから、必ず恐れは喜びに変えられる、とのメッセージも込められています。
婦人たちは、その証人として、神の召しを受けて立ち上がりました。彼女たちは「そこ(ガリラヤ)でわたしに会う(であろう)」という主イエスと共に、打ちひしがれている「わたしの兄弟たち」と再会することになります。
そのようにして、福音が世界中に宣べ伝えられる先駆けとして、「異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民」(マタイ4:15-16)に光が射し込みます。
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〈説教の要約〉
2024年 3月24日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活前第1主日(受難節第6主日) 棕櫚の主日
旧約聖書 エレミヤ書 18章16節(P.1211)
新約聖書 マタイによる福音書 27章32節~44節(P.57)
説 教「通りかかった人々から嘲られるイエス」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅰ シモンがイエスの十字架を担がされた ……マタイ27:32-34
Ⅱ 兵士たちはイエスを十字架につけた ……マタイ27:35-38
Ⅲ 通りかかる者は皆、おののき、頭を振る ……エレミヤ書18:16
Ⅳ 人々は頭を振りながらイエスをののしった…マタイ27:39-40
Ⅴ 今すぐ十字架から降りるがいい ……マタイ27:41-44
序
主イエスはゴルゴタの刑場に引かれて行く前に、ピラトの総督官邸で侮辱を受けました。
衣服がはぎ取られ、鞭打たれた痛々しい体(マタイ27:26)が露わになりました。それから、赤い外套が着せられ、茨の冠が頭に載せられました。ローマ人たちは、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱しました(同上27:27-29)。
総督の官邸は、神殿の北側にありました。神殿では、過越祭が始められようとしていました(マタイ26:2)。イスラエル民族の苦難からの脱出を記念する祭りのすぐ隣りで、人間の企みによって、救い主なるキリストが辱められていたのであります。
十字架に上げられる時(午前九時 マルコ15:25)が刻々と迫っていました。主イエスが「されこうべの場所」に着かれる途上とその到着直後に、人間の罪科の極みとも言える出来事がありました。
その中のいくつかの悪行や戯事は旧約聖書に預言されているものです。従ってそれは、神の御心に添って、主イエス・キリストが全人類と全歴史における罪科を背負われたということを意味しています。
Ⅰ シモンがイエスの十字架を担がされた
マタイ福音書27:32-34――
32 兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33 そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34 苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
総督官邸からゴルゴタ到着までの道行きが描かれています。エルサレム神殿の喧噪をよそに、兵士たちの一行は、城外のゴルゴタの丘に向かって出発しました。主イエスは疲労困憊されていました。体の痛みや寝不足で足元がおぼつかなかったでありましょう。主イエスには、十字架の横木が負わされていました(縦木は刑場に据え付けられています)。①・②・③に分けて、十字架の道行きを追っていきましょう。
①「シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」……兵士たちの戯れ気分からでしょうか、その場で「出会った」、適当な人を引きずり出しました。そして、「イエスの十字架を無理に担がせました」。兵士たちは、主イエスを憐れんだのではなく、むしろ、処刑場までの自分たちの仕事を早くやり終えたかったのでありましょう。
はた目には、「キレネ人シモン」は罪人にしか見えません。群衆から、新たな喚声が上がったことでしょう。シモンはさらし者にされました。「無理に担がせられた十字架」に、シモンは困惑したに違いありません。イエスという「犯罪人」がどういう経緯で十字架刑になるのかも知りませんでした。
しかし、シモンは「アレクサンドロとルフォスとの父」(マルコ15:21)であり、驚くべきことに、これをきっかけに家族ともどもキリスト者になったと推察されます。というものも、パウロがローマ教会の信徒に挨拶を送っている中で、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです」(ローマ16:13)と述べているからです。「その母」は、シモンの妻だと考えられます。
シモンは十字架の重みを知っている人です。その場では、「無理」やり、事件に巻き込まれてしまった、さらし者になるとは運が悪かった、というふうに思ったかも知れません。しかし、横を歩まれる主イエスの姿を心に納めたことでしょう。そしてやがて、あの十字架は、すべての人の罪を贖うための苦難のしりしであったと受け止めるようになったことでしょう。
その後、その母や子「ルフォス」が聖霊の導きによって、父「シモン」が巻き込まれた事件を思い起こすうちに、十字架と復活の主、イエス・キリストへの信仰が芽生えたのではないでしょうか。
②「ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』に着く」……そこは、頭蓋骨が雨ざらしになっているような不気味な所でありました。
ユダヤ教においては、「贖罪の献げ物」の儀式の後、不要になった残りの動物の体は、宿営の外に運び出され、焼き捨てられました(レビ記4:12)。主イエスの十字架刑が、神の御計画の通りであったことを証しするかのように、「イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われました」(ヘブライ13:12;讃美歌Ⅰ-261番)。
主イエスの苦難は城外にまで続きました。そうして、エルサレムの郊外に追いやられながらも、主イエスは「御自分の血で民を聖なる者とする」との目的を達成されました。主イエスは、この世の片隅で生きる人々に寄り添うお方であります。
③「苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった」……この場面でも旧約聖書の預言の成就が際立っています。
「苦いものを混ぜたぶどう酒」には、苦しみを緩和する鎮痛作用があったと言われています。しかし、父なる神がご覧のもとで、主イエスは苦難の極みを真正面から受け止められました。ぶどう酒を「なめただけで、飲もうとされなかった」ということです。これによって、「人はわたしに苦いものを食べさせようとし 渇くわたしに酢を飲ませようとします」(詩編69:22)との預言が成し遂げられました。酸い液を「なめただけ」でも、渇いた喉に激痛が走ったことでしょう。
主イエスは顔を背けることなく、「渇くわたしに酢を飲ませようとします」という屈辱をこうむられたのです。こうして、午前九時、主イエスは十字架に上げられました。
Ⅱ 兵士たちはイエスを十字架につけた
マタイ福音書27:35-38――
35 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36 そこに座って見張りをしていた。37 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38 折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。
そこで、「彼らはイエスを十字架につける」という残忍さと裏切りの罪とがすくい取られています。誰もその〈究極の行為〉が無かったとすることはできません。「イエスを十字架につけた」のは、今のわたし自身の罪でもあります。わたしが、釘で十字架に打ちつけた、その苦痛を主イエスに与えたのであります。そうして、苦しみの中で主イエスが死なれたように、わたしたちもまた、「主のために死ぬ」のであります(ローマ14:8)。
わたしたちは、主イエス・キリストの血によって贖われました。そうだとすれば、その信仰をもって、「彼らはイエスを十字架につける」との事実を、いつも脳裏に刻んでおかねばなりません。
「くじを引いてその服を分け合い」……ローマの兵士の職務中の、罪深い戯事とは、このことです。これが、「見張りをしていた」という人間の実体です。とても、十字架の下で起こったこととは思えません。無関心が装われています。罪人の苦しみの極みをよそに、賭事に興じています。十字架の主は、このような人間の本性を浮かび上がらせています。
しかし、このこともまた、旧約聖書の預言の通りでありました。「わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く」(詩編22:19)との預言が成就しました。この「わたし」は神の御子、イエス・キリストにほかなりませんでした。主イエスは愚弄されている人間の悔しさや怒りをも引き受けてくださいました。
そして、十字架につけられた主イエスは更なる苦難に向き合わせられました。というのも、「これはユダヤ人の王イエスである」のと「罪状書き」によって、この時この場で、十字架の苦難が周知されたからです。「ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語」の三つの言語をもって(ヨハネ19:19-20)、刑罰を受ける者に関わる情報が布告されました。その「罪状書き」を読んだ人々は、主イエスに同情を寄せるどころか、嘲りやののしりを浴びせました。
ここで、通りがかりの人から嘲笑されるという苦難について、旧約聖書を紐解いてみましょう。
Ⅲ 通りかかる者は皆、おののき、頭を振る
エレミヤ書18:16――
原文・ヘブライ語が挽歌調(3+2の韻律)になっているのに従って、行分けしました。涙がこぼれ出すほどに、悲惨な情景になっています。元来、挽歌とは死者を哀悼するものです。前後の文脈に即して、この悲しい詩文を説き明かしましょう。
「わたし」は、主なる神を、また、「彼ら」はユダヤの民を指しています。「彼ら」は、「わたし」なる神と「通りかかる者は皆」によって嘲笑されます。
その原因は、「わたしの民はわたしを忘れ むなしいものに香をたいた」(エレミヤ書18:15)ということにあります。つまり、預言者エレミヤは、神に背いて、偶像を崇めている民を叱責し、悪の道から立ち帰る(同上18:11)よう命じているのです。
「通りかかる者」から、「嘲られ」、「頭を振られる」のは、ユダヤの民にとって心の引き裂かれる苦しみです。たまたま「通りかかる者」ですから、その中には、親しく愛している者(哀歌1:2,16)や友人・知人もいることでしょう。以前には慰め励ましてくれていた人が、自分が苦しんでいるのを見て、冷笑し足早に通り去っていきます。
自分が痛みをこうむり、絶えゆこうしている時に、周りの人は笑っている(哀歌1:7,12)というのは、真実です。なぜなら、それはエレミヤ書や哀歌……しかも整えられた形式の詩文……に預言され、主イエスの十字架において成就したことだからです。
Ⅳ 人々は頭を振りながらイエスをののしった
マタイ福音書27:39-40――
39 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40 言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
今、エルサレムの城外、ゴルゴタの丘に、三本の十字架が立っています。その真ん中の十字架には、「罪状書き」が掲げられています。
エレミヤ書18:16によれば、「通りかかった人々」から嘲笑されるのは、神に背いた人間でありました。それは、神に離反し、自分の欲望に駆られた、人間の成れの果てが、そのようなどん底に下るということです。聖書は、その罪人が最後、公にさらされてしまうという出来事を告知しています。その人は、誰も慰め励ましてくれる者は無いという絶望を味わわせられます。愛した人が態度を豹変させるのは、見るに忍びないものであります。
その出来事が、十字架につけられた主イエスにおいて起こりました。「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしった」ということです。それは、人間の罪科に対する神の怒りが、十字架上の御子、イエス・キリストに下ったことを現しています。それによって、バビロン捕囚の時に、ユダヤの民のこうむった最大の悲惨を、主イエスが一身に受けられました。
十字架の主イエスの前を「通りかかった人々」は、人々の罪を贖う神の御業に向き合うどころか、それを嘲笑しました。神の遣わされたお方の前に、ひれ伏す謙遜さが見られません。わたしたち自身も、救い主、イエス・キリストを信じるという信仰が無ければ、「そこを通りかかった人々」と同罪となります。
それではなぜ、これほどまで主イエス・キリストは人々から卑しめられたのでしょうか? そのことは、ただ神からの霊を受け、聖書を読むことによって知らされます。
打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、
*この詩行も原文は挽歌調になっています。後世に伝えんとして、内容と形式が整えられたということです。
イザヤ書53:5――
彼が刺し貫かれたのは
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
*この詩行もまた挽歌調になっています。
エレミヤやイザヤの挽歌は、まさに「ナルドの香油」(ヨハネ12:3)のように、
主イエスの受難と死に対してささげられています。
主イエスの葬りにふさわしく、格調高い美しい詩文になっています。
これは、「苦難の僕」についての描写です。神がこの世に遣わした「苦難の僕」こそ、主イエス・キリストでありました。なぜなら、このイザヤ書の預言の通りに、主イエスは十字架によって「わたしたちの背き」や「わたしたちの咎」を背負われたからです。
キレネ人シモンが「イエスの十字架を無理に担がせられた」との挿話(マタイ27:32)は、十字架がわたしたち・人間と密接な関係があることを物語っています。すなわち、主イエスが「嘲られ」、「頭を振られ」、そして「唾を受けられた」(同上27:30)のは、「背いている者たちを執り成す」(イザヤ書53:12)ためでありました。「多くの民を驚かせる」(同上52:15)ような、主イエスの御業によって、罪人が救い出されました。
その意味では、キレネ人シモンはたまたまその場に出くわしたように見えますが、実は、「愛のきずな」(ホセア書11:3)によって、十字架という軛を通して、主イエスにつながれていたのであります。そこに、一人の巡礼者とその家族をその罪から清めるという神の計画と決断があったのです。
「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」……公生涯の始まりにおいて、主イエスは荒野で悪魔の試みを受けられました(マタイ4:1-11)。そして今、「通りかかった人々」、そしてさらには、「祭司長たちも律法学者たちや長老たち」から主イエスの力を試そうとする罠が仕掛けられました。主イエスを信じることなく、ただ単に、奇跡を見せてみろ、と命じている点で、悪魔も十字架の周りの人々も同列です。
初めに、気まぐれな通行人から、次に、権威ぶった宗教者から、「自分を救ってみろ」や「十字架から降りて来い」との嘲りが連呼されています。彼らは誰ひとり、主イエス・キリストが「背いた者のために執り成しをする」(イザヤ書53:12、ヘブライ7:25)お方として、十字架の死を遂げようとされていることに目を向けていません。
彼らはただ、自分たちの意図に沿って、主イエスに発言させ行動させようとしているに過ぎません。それによって、彼らは聖霊の導きにより、「多くの人をおののかせる」神の大いなる救いの御業に直面する機会を失いました。そのことは、自分の日常や考え方を壊されたくないと固執するわたしたちにも起こり得ます。
Ⅴ 今すぐ十字架から降りるがいい
マタイ福音書27:41-44――
41 同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
42 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43 神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」 44 一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
それでは、主イエスを愚弄する、「自分を救ってみろ」(他人は救ったのに、自分は救えない)、また、「十字架から降りて来い」との叫びについて、どこに間違いがあるのか、を捉えましょう。
「自分を救ってみろ」と「十字架から降りて来い」の内容は基本的に同じです。すなわち、死の苦難から逃れる力があるか見せてみよ、という点で重なります。人々は、主イエスが行動して「十字架から降りて」、(自分に対しての!)救いを実証してみせよ、と迫っています。
彼らの愚かさは歴然としています。神と自分との関係を考えていません。主イエス・キリストはわたしたちの罪を贖うために、わたしたちを救うために、十字架につけられているのです。
父なる神と御子、イエス・キリストは永遠の昔に、十字架と復活の御業によってわたしたちを救い出すという御計画を立てられました。そのことを知らせるために、人々の間に、神の油注がれた者や預言者を遣わされました。そうして、主イエス・キリストを迎え入れる準備がなされました。
しかし、ゴルゴタの丘で、主イエスに最も近い所にいた人々が、侮辱の言葉を投げつけました。それ故に、旧約聖書が預言として次々の成し遂げられていったにもかかわらず、神の御心を顧みることがありませんでした。
「今すぐ十字架から降りるがいい」との言葉ほど、神の御心に背くものはありません。そうではなく、わたし自身が十字架につけられるほどに、主イエスの苦難を味わい知ることです。神の霊が告げています……「人の心に思い浮かびもしなかったこと」(Ⅰコリント2:9)を、主イエス・キリストが十字架上で成し遂げてくださったということを!
「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」(ローマ6:5)。わたしたちが、十字架の死を霊的に繰り返し経験することが、わたしたちの生活の基となるということです。
わたしたちがこの世で、「見捨てられ」、「嘲られている」(マタイ27:46、イザヤ書51:7)と思うとき、人生のどん底を歩んでいるとき、インマヌエルの神、イエス・キリストはわたしたちの傍らに立っておられます。
W
〈説教の要約〉
2024年 3月17日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活前第2主日(受難節第5主日)
旧約聖書 詩編79編 9節(P.917)
新約聖書 マルコによる福音書 2章13節~17節(P.64)
説 教「わたしに従いなさい」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅰ イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた ……マルコ2:13
Ⅲ イエスは罪人や徴税人と一緒に食事をされた…マルコ2:15-16
Ⅳ わたしが来たのは、罪人を招くためである ……マルコ2:17
結 ……詩編79:9
序
主イエスによって、ガリラヤ湖畔での伝道が行われています。それは、ただ順調に進んでいったというわけではありません。
具体的には、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)との主イエスの呼びかけに耳を傾けた人もあり、そうでなかった人もいたことでしょう。また、病気の癒やしや悪霊祓い(同上1:34)に熱狂した人も、その効力に疑惑の目を向けた人もいたことでしょう。
こういう状況において、人間的な知恵では、反響の大きいところや皆の受けの良いところを狙っていこうとなりがちです。しかし、主イエスはひたすら父なる神に御心に添って、困難に向き合って伝道されました。目先の成果に思い悩むことはありませんでした。時に、おびただしい群衆から離れ去って、湖畔や山辺で祈られることもありました(マルコ1:35、3:7、6:46)。
では、人を分け隔てしない、伝道という観点から、次のような人に、主イエスはどのように接せられたのでしょう?
自分の仕事場を持っていて、金持ちそうな人(ルカ19:2)、しかも今、どっしりと自分の椅子に座って仕事に励み、なおかつ、人の出入りを警戒している人……このような人に対して、わたしたちは「語りかけにくいな。出直して来よう」と思ったりしないでしょうか。
アーメン、主イエスは人を分け隔てなさらないお方でした(ローマ2:11)。徴税人のレビやザアカイをしっかりと見つめて、ご自身の方から声をかけられました。その上、彼らの家を訪ねられました(マルコ2:14-15、ルカ19:5)。その姿勢は、ガリラヤ湖のほとりでも、エリコの町でも一貫していました。主イエスは歩きながら、ごく自然に伝道されました。
主イエスご自身が、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(Ⅱテモテ4:2)との勧めを実践されました。初期のガリラヤ伝道から、その一幕を垣間見てみましょう。
Ⅰ イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた
マルコ福音書2:13――
イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。
主イエスはガリラヤ湖畔を歩いておられます。遠くの山々まで見渡せる、円い湖の一端で、主イエスは何を考えておられたのでしょう。湖水のさざ波のように、「神の国」の福音が広がってゆくことを願っておられたのでしょうか。
「湖のほとり」の場面がわたしたちの心に印象づけられています。その光景とは――
「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた」⇒「群衆が皆そばに集まって来た」⇒「イエスは教えられた」……ここには、主イエスと群衆との間に、平和な循環があることは見て取れます。福音を宣べ伝えておられる主イエスと、それを聞くために集まっている群衆との光景が、「再び」という繰り返しの中に映し出されています。
一方、主イエスは恵みと平和を祈りつつ、幾度も湖畔を巡っておられたことでしょう。他方、群衆は、見慣れつつある主イエスの御姿と反復される御言葉を通して、「主イエスがどのようなお方であるか」(マルコ8:27,29)を知るようになったことでしょう。もちろん、その人々の受け止め・理解は、御言葉の力が一人ひとりの心身に注がれることに拠るものです。その人が心を開いて、聖霊の宿った御言葉を聞くかどうかに掛かっています。
その実例が、「アルファイの子レビ」によって示されます。
Ⅱ レビは立ち上がってイエスに従った
そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
ここに、いわゆる取っつきにくい人がいました。彼は仕事熱心な金持ちで、町の人々からは嫌われていました。
レビは自分の町またはその領内で、物品や通貨の流通を監視する立場にありました。当時、ガリラヤ地方もローマ帝国の支配下に置かれていましたから、ユダヤ人レビの態度には微妙なものがありました。すなわち、ローマ人にはこびへつらいながら、自分の職を守るのを第一に、税を納める地元民には、飴と鞭を使い分けるということです。
そうすると、その日の気分や隠れてもらう賄賂などによって、収税人としての「正しさ」がゆがめられてしまいます。当時、親の代からその職業を受け継いだとしたならば、自分のゆがみや悪い習癖にすら気がついていないこともあり得ましょう。憐れむべき人であるに違いありません。
「そして通りがかりに」、なんの躊躇もなく自然に、主イエスは路傍の人に語りかけられました……「わたしに従いなさい」。それは、漁師のペトロやアンデレに呼びかけたのと、同様のものでありました(マルコ1:17)。それは、狭まりがちだったレビの心を解き放つものでありました。
普通に考えるならば、レビは「収税所に座って」仕事をしていました。税務など「計算をしている最中」の人に声かけするのは憚られます。しかし、主イエスは、「湖で網を打っている」ペトロたち(マルコ1:16)に呼びかけられたように、最善の時にレビを召し出されました。
「わたしに従いなさい」との御声は、人間にとっさの決断を迫ります。人間が用意できているかどうかは問題ではありません。レビは自分の仕事をうっちゃって、新たな使命に転じました。そのことを証しするかのように、「彼は立ち上がってイエスに従いました」。
レビは主イエスの御声の力によって目覚めさせられました。「徴税人」レビは良くも悪くも、町で影響力を持つ人でありました。彼がイエスに従ったとのうわさも、ガリラヤ湖畔を駆け巡ったことでありましょう。レビを取り巻いた福音の波は、すぐ後に起こる出来事にも及んでいきました。
Ⅲ イエスは罪人や徴税人と一緒に食事をされた
マルコ福音書2:15-16――
15 イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
主イエスは「レビの家」を訪ねられました。この時、レビは自分の「家」と「食事の席」を提供し、背後に退きました。おそらく、客人の足を洗って迎え入れ、「仕える人」(Ⅰコリント3:5)に徹したということでありましょう。
徴税人「レビの家」は主イエス・キリストの行いと言葉によって清められました。それは、これからいつも、主イエスが聖霊を通して、「レビの家」に宿っておられるということです。主イエスというお方が「レビの家」の「隅の親石」になられました(マルコ12:10)。実際、この家の「食事の席」で、主イエスの宣教の原点となるような御言葉が披露されました。
「多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた」……主イエスによる「徴税人」レビの召命が効果的に波及しています。一人の「徴税人」から「多くの徴税人」へ、神が計画を立てておられるとは、まさにこういうことなのでしょう。
本文には叙述されていませんが、主イエスが中心に座っておられる「食事の席」の場面について、次のように想像されます。すなわち、主イエスは「パンと魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、レビはじめ仕える者たちに渡しては配らせ、魚も皆に分配された」(参照:マルコ6:41)ということです。「天を仰いで賛美の祈りを唱える」、つまり、神が聖別された「命のパン」(ヨハネ6:35)が祝福のうちに分け与えられたということが、何より重要です。
そしてこのような「食事の席」に、「多くの徴税人や罪人」が招かれていました。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる」との平地での説教(ルカ6:17,20-21)通りのことが今、起こっています。主イエスは「レビの家」の中で、その御言葉を実現させました。
わたしたちもまた、聖餐式により、神の祝福に満ちた聖なる食事にあずかっています。そこに座っているのは、単なる「罪人」ではありません。そうではなく、主イエスが招き入れられた「罪人」、主イエスの御言葉を聞き入れた「罪人」です。
そのような「徴税人や罪人」について、「実に大勢の人がいて、イエスに従っていた」と述べられています。「大勢の人」が自分の人生をうっちゃって、主イエスと共に生きる者に変えられました。彼らは主イエスと出会い、主イエスを信じるようになりました。
そこに、「ファリサイ派の律法学者(たち)」が現れます。彼らは、信仰によって大いなる逆転を遂げた「罪人」たちを受け入れることができませんでした。なぜなのでしょうか?
一つは、「主イエスがどのようなお方であるか」が分かっていなかったから。
イエス・キリストを救いの御子、あるいは、罪を贖うお方であると信じていなかったということです。
もう一つは、「徴税人や罪人」を祭儀的に「汚れた者」として捉えていたから。
「ファリサイ派」や「サドカイ派」(マルコ12:18)の人々によれば、自分たちのふさわしいと考える時と場所において、「罪人」は、清められなければなりませんでした(レビ記11章-17章)。自分たちは権威をもって律法を厳守し、清めの手続きを執り行うと考えていました。
付け加えれば、「ファリサイ派」や「サドカイ派」の人々は根本的には、罪人を清め、病人を癒やすのは、主なる神の御業であると信じていました(出エジプト記15:26、エゼキエル書36:33)。そこで、律法に沿って、清めや癒やしの儀式をつかさどり、清められたことや癒やされたことを宣言するというのが祭司の務めでありました(参照:2023年9月24日の説教 マルコ1:40-45)。
ともかくも、清めと癒やしの御業をなす主なる神と、主イエス・キリストとが、「ファリサイ派」や「サドカイ派」にとっては結び付かなかったのであります。というのも彼らは、主イエスの「父なる神がわたしを遣わしたのだ」(ルカ4:18)との言葉に耳を塞いでいたからです。その上、彼らは律法の権威者としての立場、あるいは、儀式の献げ物・受け取り機会が失われるのを危惧していたのかも知れません。
一方、ファリサイ派の律法学者は、弟子たちに向かって不平をつぶやきました。この敵対者は自分の本心を隠していました(マルコ3:6)。他方、主イエスは敵対者を含め「食事の席」の一同に答えられました。
Ⅳ わたしが来たのは、罪人を招くためである
マルコ福音書2:17――
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
主イエスが愛と知恵に満ちた言葉を発せられました。わたしたちは聖霊に導かれるように祈り、これに耳を傾けなければなりません。
主イエスの発言には、諺ふうの二つの句が用いられています。次のように書き改めれば、二つの句の並行性は一目瞭然でしょう。
「医者なるわたしが来たのは、丈夫な人を診るためではなく、病人を診るためである。」
⇑ 常識 《メッセージ上の落差》 ⇓ 人の心に思い浮
かびもしなかったこと
*《落差》をつくり出して、はっと!させる論法
「メシアなるわたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
問題は、この二つの句のつながりと、それぞれの内容です。ポイントは二つに絞られます。
・一つ目の常識的な内容を持つ句を前置することにより、驚きの内容を持つ二番目の句へと滑らかに導入する。
・そうして、聞き手を、世の中の常識から福音の世界へとジャンプさせる。
主イエスの巧みな説教こそが、「罪人」をジャンプさせる原動力になっています。それは、聖書的に言えば、わたしたちは聖霊の導きによって、「罪人を招く」イエス・キリストを信じるということです。
ここには、徴税人レビの事例の通り、この人は「悔い改め」そうな善い人だから、「招こう」というような予見は一切ありません(比較:ルカ5:24)。このテキストが語る出来事において、どこに比重が掛かっているか、もうお分かりでしょう。
主イエスによって食事の場〈聖餐〉が設けられ、「大勢の人」が招き入れられた、そこで、人々が主イエスに出会った、そして、主イエスの御言葉〈説教〉を聞いて、「多くの徴税人や罪人」が主イエスを信じたということです。不足も余分もありません。これが、主イエスの伝道であり礼拝です。
主イエスはガリラヤ湖畔の伝道においてすでに、将来の教会設立を見通しておられたということも分かります。主イエスはガリラヤ湖の南方を、山々の向こうのエルサレムを望み見ておられたのではないでしょうか。「神の神殿」(歴代誌上29:2)の立つ都で、主イエスは十字架につけられて死を遂げ、三日後によみがえられます。そうして、50日後、天下のあらゆる国からの帰還者が見ている中で、「神の教会」(使徒20:23)が建てられます(同上2:1,5)。
そこに、大勢の「ガリラヤの人」も集っていました(使徒2:7)。彼らは、聖霊の降臨を通して、死んでよみがえられたイエス・キリストに出会いました。彼らの中には、ガリラヤで主イエスが弟子たちに告げられた御言葉を伝え聞いていた人もいることでしょう……「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」(マルコ9:31)。突然、激しい風が吹いて来るように、聖霊が降った日に、「主イエスがどのようなお方であるか」が明らかにされました。
結
ある意味では、主イエスとレビの出会い、ならびに、レビの家での食事は、ガリラヤ伝道の一コマに過ぎません。しかし、主イエスがどこでも、いつでも、大切に心に留めていることがあります。
それが、ご自身の十字架と復活の御業によって、父なる神の栄光を現す(マルコ8:38、使徒3:13)ということでありました。永遠の昔から、御父と御子は、預言者や詩編詩人の口を通して、「あなたの御名」をあがめ(詩編79:9)、その「栄光」をほめ歌うよう(同上66:2)、民を導いてこられました。それに続くわたしたちの讃美は、世の終わりまで、御国に入れられるまで続けられるものであります(ヨハネ黙示録11:13、19:7)。苦しい時にも、主イエスがわたしたちと共におられます(Ⅱヨハネ1:3)ので、御国をめざすわたしたちには慰めと希望があります。
御父と御子は、神の「御名」をあがめ、神の「栄光」をほめ歌うわたしたちに、「罪を赦す」と宣言してくださいました。「わたしが来たのは、罪人を招くためである」との主イエスの御言葉が聞こえたと同時に、「わたしたちの罪」は赦されました。
わたしたちには、無償の恵みにほかならない、赦しによって、神とわたしたちとの交わりが築かれています。いつでも、立ち上がって、主イエスに従えるように、詩編詩人と共に祈りましょう。
わたしたちの救いの神よ、わたしたちを助けて
御名のために、わたしたちを救い出し
2024年 3月10日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活前第3主日(受難節第4主日) 大人と子どもの合同礼拝
新約聖書 ルカによる福音書 2章25節~38節(P.103)
説 教「赤ちゃんイエスが神にささげられる」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅰ “霊”に導かれて神殿の境内に入って来た ……ルカ2:25-27
Ⅱ わたしはこの目であなたの救いを見た ……ルカ2:28-32
Ⅲ 多くの人を倒したり立ち上がらせたりする ……ルカ2:33-35
Ⅳ 救いを待ち望んでいる人々皆に ……ルカ2:36-38
結
序
ヨセフとマリアが生まれたばかりの子を抱いて、神殿に入って来ました。その子の人生の幸いを願って、神の祝福を受けるためです。
さあ、わたしたちも、ベツレヘムの町で主イエスが誕生されたのをお祝いしたように、エルサレムの都で主イエスが神にささげられるのをお祝いしましょう。ベツレヘムでは、羊飼いたちや占星術の学者たちとの出会いがありましたが、エルサレムではどんな出会いが待っているのでしょうか。神はベツレヘムに駆けつけられなかった人々にも、すばらしい巡り会いを用意しておられます。
主イエスが生まれる前、主の天使が父ヨセフに現れて、「マリアは男の子を産む。この子は自分の民を罪から救う」(マタイ1:21)と告げました。その告知に従って、主イエスの宮参りの時に、救いを待ち続ける多くの人々の中から、二人の人物が神に選ばれて登場します。その出来事を詳しく伝える聖書を読んでみましょう。
Ⅰ “霊”に導かれて神殿の境内に入って来た
ルカ福音書2:25-27――
25 そのとき(原文 そして見よ)、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
神殿の境内にふさわしい、清らかな空気に満ち満ちています。理由はシンプルです。シメオンに関し、「聖霊が彼にとどまっていた」、「お告げを聖霊から受けていた」、そして「“霊”に導かれて入って来た」と述べられています。このように、「聖霊」によってシメオンはこの日のために、聖別されていたのです。神の恵みによって彼に、「潔白な手と清い心」(詩編24:4)が授けられていたに違いありません。
「“霊”に導かれた」シメオンならば、「主が遣わすメシア」が見分けられるはずです。この世の知恵を誇る人は常識的に、大人の中から「メシア」を探し出そうとしたかも知れません。ところが、シメオンの目に留まったのは、或る「両親と幼子」の姿でありました。
人生の中で幾度も見てきた宮参りのういういしい光景であったことでしょう。しかしこの時、シメオンに、電光石火のごとく、「聖霊」からの知恵が与えられました。すなわち、「(メシアと会うとの)お告げを聖霊から受けていた」、そのメシアはこの赤ちゃんにほかならない、と。
シメオンは祭司から、「すべての初子を聖別してわたし(神)にささげよ」(出エジプト記13:2)との教えを授けられていたことでしょう。というのも、これは主なる神がモーセに示された、ユダヤの民にとって伝統的な律法だからです。神に「初子をささげる」ことを通して、神とのつながりが確かめられ、より強固なものとされるのです。
ユダヤの民は、「初子をささげる」という献身のしるしとして、犠牲(山鳩一つがいか家鳩の雛二羽 ルカ2:24)を差し出しました。大切なのは、この慣習を行うことにより、苦難から解放された主エジプトの出来事を思い起こすことでありました(出エジプト記13:15)。今も働いて、大いなる「救い」を与えてくださる神を拝むというのが、幼子とその家族の慣習の中心にあることでした。
その主なる神は、「見よ、エルサレムにシメオンという人がいた」という今日の出来事を通じて、人が思いもしなかった「救い」を示されました。それが、今日一度限りの、両親と主イエスの宮参りでありました。そして神は、エルサレムの神殿から全世界に向けて、「メシア」の誕生を告知する人物として、シメオンを召し出されました。それが、「見よ」との一句に込められた深意なのです。
その時、どのように振る舞うべきか、何を語るべきかが、「聖霊」によってシメオンに示されました(マタイ10:19-20)。
Ⅱ わたしはこの目であなたの救いを見た
ルカ福音書2:28-32――
28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
あなたの民イスラエルの誉れです。」
年老いた者が、生命力の満ちた赤ちゃんを、その腕にしっかり抱きました。何と微笑ましい情景なのでしょう。母マリアが「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(ルカ2:7)ということから見ても、血縁でない者が赤ちゃんを抱きかかえるのは、特別なことでありました。ここでシメオンは、ささげられる幼子を迎え入れ、祝福する祭司の役割を果たしています。
シメオンが、祭司以上の祭司であると見なされるのは、彼が律法や慣習の知識や経験において豊かであるとの意味ではありません。そうではなく、メシアの到来を信じ、「“霊”に導かれて」、真剣に「生きて死のう」としていた点において、人後に落ちないとの意味です。そのことは、主なる神の御計画と執り成しによって「この僕を安らかに去らせてくださいます」との言葉が雄弁に物語っています。「主が遣わすメシアに会う」ことが、今日成し遂げられました。
まだ赤ちゃんでありながら主イエスは、「死の陰の谷を行く」(詩編23:4)、一人の老人に平安と希望を与えました。
「わたしはこの目であなたの救いを見たからです」……言い換えれば、赤ちゃんイエスが神にささげられるのを見た、自分はその現場に立ち会ったということになります。シメオンにとって、その子が自分の死を担ってくれたというほどに、歓喜したのであります。それによって、労苦に満ちた人生全体が慰めにあふれるものに変えられました。
その子が神にささげげられる(ルカ2:22,27)ということは、生涯、神に仕える者となることを意味しています。その通り、主イエスは神から遣わされ(同上2:26)、公生涯を通して、神の栄光を現されました(ヨハネ14:4,40)。そうして、ご自身が神に仕える者、神の僕であることを示されました。シメオンはそのようなメシアを目撃し、腕に抱いた最初の人でありました。
シメオンは生涯をかけて待ち続けた、忍耐の人でありました。また、シメオンは聖霊の助けによってこそ、「正しい人で信仰があつく」あり得ることを証ししました。わたしたちもまた、「わたしはこの目であなたの救いを見た」という信仰者の証言を受け入れ、シメオンの後に続きましょう。
シメオンは典型的なイスラエル人でありましたが、赤ちゃんイエスの内に、「異邦人を照らす啓示の光」を見出していました。シメオンは高齢のため、もはや旅し得ないような、異邦の国々にも、福音が届けられるようにと祈る者に変えられました。
Ⅲ 多くの人を倒したり立ち上がらせたりする
ルカ福音書2:33-35――
33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
シメオンの言葉には、神殿の祭司をはるかに越えるように、聖霊が宿っています。神へのほめたたえと自らの証言から、「母親のマリア」に対する、すなわち、世の人々に対する預言へと転じています。そこには、子どもを神にささげに来た家族への「祝福」が表されています。殊更に、「母親のマリアに言った」というのは、マリアが主イエスの公生涯の間、主に寄り添い、その労苦を共にする代表者だからでありましょう。
シメオンの預言から、二つの文(①と②)を取り上げます。
①「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりする」……主イエスが「多くの人を倒したり」することによって、或る人はつまずき、また或る人は反撃を試みます。主イエスへのねたみや争い(Ⅰコリント3:3)が積み上げられ、最後には主イエスを裁いて十字架につけます。
元より、「主によって倒される」という自分の経験は貴重なはずです。そこで、敗北感や挫折感にこだわり続けるなら、信仰の道に帰ることはありません。しかし、「主によって倒される」ことを「神の御心に適った悲しみ」(Ⅱコリント7:10)をもって受け止めるなら、悔い改めて、正しい道に立ち帰るでしょう。
そのような人には、「この子は多くの人を立ち上がらせたりする」という恵みが増し加えられます。というのも、「立ち上がること」には「復活」との意味があるからです(ルカ20:27,36)。主イエスの十字架の苦難が復活に通じているように、主につき従う人は、世にあって打ち倒されることもありますが、終わりの時に復活させられます。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:19-20)とは、まさにこのことです。このように、マリアに向けてのシメオンの預言は、彼が「安らかに(この世を)去った」後、使徒パウロによって受け止められ、宣教の言葉として用いられました。
②「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」……若い母マリアへの重い言葉です。少し文意が汲み取りにくい面がありますので、旧約聖書に照らしながら説き明かしましょう。
まず、「あなた自身も」との言葉遣いに含蓄があります。明白にすべきなのは、誰か他の人も、「剣で心を刺し貫かれる(であろう)」ということです。そこで、旧約聖書を引用しましょう。
わたし(神)はダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。
これは、「エルサレムの救いと浄化」についての主なる神の託宣です。神が終わりの時に、エルサレムの上に注ぐ「憐れみと祈りの霊」の約束がなされています。同時に、これは、主イエス・キリストの最期、すなわち、十字架上の死に対する預言になっています。
ここで「わたし」というのは、明らかに「神」を昭示しています。驚くべきことに、「ダビデの家とエルサレムの住民」によって、「わたし」なる神が「刺し貫かれ」ます。この預言は、主イエス・キリストが十字架に上げられ、死を遂げられる中で成就しました。
ヨハネ福音書19:34,37――
34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。……これらのことが起こったのは、聖書の言葉が実現するためであった…… 37 また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」(ゼカリヤ書12:10)とも書いてある。
そこで、十字架のそばにいたマリア(ヨハネ19:25)に、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」ということが起こったのです。十字架上の主イエスを見つめながら、マリアは「初子の死」を深く悲しんだのであります。マリアは、十字架から降ろされた御子を抱いたと言われています。この伝承に基づいて、イタリアの芸術家・ミケランジェロ(1475年-1564年)は、彫刻で「ピエタ」(Pietà 慈悲の意)を制作しました。
「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」……それが、赤ちゃんイエスを神にささげるために、エルサレムの神殿に上って来たマリアへの言葉でありました。シメオンがマリアに贈った言葉でありました。
「槍でわき腹を刺された」主イエスと、「剣で心を刺し貫かれた」マリアとによって、「多くの人の心にある思いがあらわにされ」ます。主イエスへの裏切り・驕り・無関心などの罪性が暴き出されます。わたしたちは、「自分たちの突き刺した者〈イエス・キリスト〉を見る」ことによって、自らの罪科を悔い改めたいと願います。
Ⅳ 救いを待ち望んでいる人々皆に
ルカ福音書2:36-38――
36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
シメオンに続いて、二人目の証人(申命記19:15)が登場します。アンナはシメオンとは異なる働きをしました。イエス、ヨセフとマリア、シメオンとアンナ、計5人によって、赤ちゃんが神にささげられるという儀式が祝われました。それは、聖霊の息吹に満ちた、神聖なものでありました。
アンナが「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」との叙述から、アンナ(ギリシア語)と同名のハンナ(ヘブライ語)……意味は「恵み」……のことが思い起こされます。
ハンナの夫はエルカナと言い、彼女は子どもが誕生するのを待ち望んでいました。主の神殿のあるシロ(エルサレムの北32㎞にある町)に上る時はじめ、ハンナは常日頃から、主に祈っていました(サムエル記上1:10、2:1)。そうして、主なる神にハンナの祈りが聞かれ、初子の男子が与えられました(同上1:20)。その子サムエルは乳離れした後に、シロの祭司エリのもとにあずけられました(同上1:28)。ハンナは主に願って得た独り子を、主にささげたのであります。前途の暗澹たる時代に、神にささげられた、その独り子・サムエルは神の御心を告げる預言者となりました。
このように、ハンナは、子どもが神にささげられるということの重さをよく知る女性でありました。彼女がシロの聖所にあずけた独り子は、存分に神の恵みと祝福を受け、人生を全うしました。そして、そのハンナの思いを受け継ぐかのように、アンナがエルサレムの神殿に出現しました。
「女預言者」であり「非常に年をとって」いたアンナが、「そのとき、近づいて来て」、主イエスに出会いました。
そして、「神を賛美し」ながら、アンナは彼女の長い人生において、初めてのことに取りかかりました。それが、「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」ということでありました。ここに、主イエス・キリストを宣べ伝える伝道が始められました。この「幼子」によって、「主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る」(イザヤ2:3)との預言が、今日、宮参りにおいて成就しました。
それは、多くの人と「神からいただいた恵み」(ルカ1:30)を分かち合うということでありました。それこそが今日、「恵み」の女、アンナに託された、神の僕としての使命でありました。
結
主イエスの時代からさかのぼること、およそ一千年前のことです。一人の女がシロにある主の神殿に上り、初めて産んだ男の子を神にささげました。そうして、この子は生涯、主にゆだねられた者となりました。祭司エリ、ハンナとその幼子、そして犠牲を捧げるのを手伝った人々は、礼拝をしました(サムエル記上1:24-28)。幼子の行く末と共に、神の信じる人々の内に、まことの希望があるようにと祈ったことでしょう。
それから、国が建てられ、そして国は滅び、ちょうど一千年の時が満ちました。今日再び、祈りをもって神に独り子をささげる、祝いの儀式が執り行われました。神殿の立つ都エルサレムで、若い世代の家族が高齢の男女に迎えられました。神がほめたたえられ、幼子とその両親が祝福を受けました(ルカ2:28,34,38)。
主イエス・キリストがこの世のただ中に遣わされました。そうして、わたしたちを救う(ルカ2:30)との神の御心が示されました。
だから、今日は、「恵みの時、救いの日」(Ⅱコリント6:2)なのです。
W
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月報2月号
説教 『 安息日は人のためにある 』
マルコによる福音書 2章23節~28節 小河信一 牧師
説教の構成――
序
Ⅱ 祭司は聖別されたパンをダビデに与えた ……サムエル記上21:1-7
Ⅲ ダビデも供の者たちも空腹だった ……マルコ2:25-26
Ⅳ 安息日は、人のために定められた ……マルコ2:27
Ⅴ だから、人の子は安息日の主でもある ……マルコ2:28
序
新しい年を迎えた今朝、わたしたちは主の日の礼拝に招かれました。今年もまた、わたしたちは礼拝から礼拝へと、日曜日・52回、永遠なる神の国をめざして歩んで行きます。
マルコ福音書2章の終わりと3章の初めに、「安息日」の出来事または論争が出てきます。福音書記者はわたしたちに、「安息日」に主イエスがどんなことを語り、どのように振る舞われたのか、を伝えようとしています。
端的に言えば、主イエス・キリストのよみがえりにおいて、「安息日」(土曜日)は、主の日・日曜日と密接につなげられました。なぜなら、「安息日」にいやしを行い、戒律の束縛を解き放ち、人々に安らぎを与えられた主イエスが、わたしたちへの祝福をもって、日曜日の朝に復活されたからです。従って、わたしたちは四つの福音書に記されている「安息日」の主イエスの行いと言葉を思い起こす必要があります。それこそが、主日の礼拝への善き備えとなります。
すでに主イエスは数々の御業をもって、人の罪を赦し、人を癒されました。そのような主イエスが週の初めの日に、「新しく創造する」力をもって(Ⅱコリント5:17)、わたしたちを迎え入れて、身と心を清めてくださいます。挫折していた人が立ち直らされます。
「安息日」とは、一体どんな日であるのか、主イエスの教えに耳を傾けましょう。恵み豊かな「安息日」が、主イエス・キリストの執り成しによって、主日の礼拝において回復されますように!
Ⅰ 安息日に麦の穂を摘む
マルコ福音書2:23-24――
23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
ファリサイ派の人々が主イエスに厳しい問いを投げかけました。すでに述べた通り、マルコ福音書2:1-3:6では、律法学者、そして、ファリサイ派やヘロデ派の人々が次々に現れ、彼らは主イエスと論争します。そのやりとりの中で、主イエスへの反論や批判が提示されます。群衆(マルコ2:4,13、3:9,20,32)は固唾を呑んで見守っています。
論争のテーマはいろいろですが、イエス・キリストがどのようなお方であるのかを巡って深められていきます。今回のテキストでは殊に、「安息日に」、つまり、主日に、イエス・キリストはどのようなお方としてわたしたちの間に臨在されるのか、が明示されています。御自身と人に関する重大な宣言をもって、よみがえりの日に向けて、主の日(日曜礼拝)が確立されます。
以前、律法学者は、主イエスが中風の人に「あなたの罪は赦される」と言われたのを聞き、心の中であれこれ考えました(マルコ2:6)。見て見ぬ振りをするかのように、つぶやくだけでした。
ところが、ここでは、「ファリサイ派の人々がイエスに」、面と向かって問いただしました。今後ファリサイ派の人々は、ローマ帝国の権力者やユダヤの民衆を巻き込んで、主イエスに刃向かいます(マタイ27:6、ヨハネ18:3)。
ここでは、「弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた」という行為が、攻撃の的とされました。ファリサイ派の人々は、「あなたは六日の間働き、七日目には仕事をやめねばならない。耕作の時にも、収穫の時にも、仕事をやめねばならない」(出エジプト記34:21)との安息日の規定を念頭に置いているようです。つまり、「麦の穂を摘む」ことが、刈り入れ行為であり、掟破りだと言うのです。ここには、安息日を厳守しようとするあまり、その規定を過度に煩雑にする傾向がうかがわれます。
実際には、申命記23:26に、「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない」との規定があります。安息日に、「手で穂を摘む」ことを禁じてはいません。聖書に照らせば、ファリサイ派の詰問は言いがかりに他なりません。出エジプト記34:21はあくまでも、農作業としての「収穫」、鎌を入れる「仕事」を差し止めているのでしょう。
主イエスはファリサイ派の人々への反論として、ダビデの故事を引用しています。それは、聖書を熟知しているファリサイ派に真正面から向けられたものです。同時に、ここでの安息日論争を、聖書に照らして、すなわち、父なる神の御心を問いながら進めようとする、主イエスの姿勢がうかがわれます。そこで、主イエスが聖書の権威に基づいて反問されようとしている、そのダビデの故事の原典を読んでみましょう。
Ⅱ 祭司は聖別されたパンをダビデに与えた
1 ダビデは立ち去り、ヨナタンは町に戻った。2 ダビデは、ノブの祭司アヒメレクのところに行った。ダビデを不安げに迎えたアヒメレクは、彼に尋ねた。「なぜ、一人なのですか、供はいないのですか。」 3 ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王はわたしに一つの事を命じて、『お前を遣わす目的、お前に命じる事を、だれにも気づかれるな』と言われたのです。従者たちには、ある場所で落ち合うよう言いつけてあります。4 それよりも、何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか。」 5 祭司はダビデに答えた。「手もとに普通のパンはありません。聖別されたパンならあります。従者が女を遠ざけているなら差し上げます。」 6 ダビデは祭司に答えて言った。「いつものことですが、わたしが出陣するときには女を遠ざけています。従者たちは身を清めています。常の遠征でもそうですから、まして今日は、身を清めています。」 7 普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。パンを供え替える日で、焼きたてのパンに替えて主の御前から取り下げた、供えのパンしかなかった。
最初に、この時ダビデを取り巻いていた状況を説明しましょう。それによって、一見取るに足りない挿話に思われる、この出来事に、主イエスが着目された訳が分かります。
ダビデがヘブロンで油を注がれて王になる(サムエル記下3:1)、それよりずっと以前のことでした。当時の王サウルは、ペリシテ人に向かって出陣し、連戦連勝するダビデを恐れ、ねたみを抱いていました(サムエル記上18:9,12)。
難を避けて、ダビデは逃亡しました(サムエル記上19:18)。ダビデは従者たち(同上21:3,5,6)と共に、ユダヤとペリシテの周辺をさ迷っていました。サウルの遣わした追っ手の目をくらまそうと、洞窟に隠れたり、要害に立てこもったりしました(同上22:1,4)。それでも、「彼の兄弟や父の家の者」、また、「困窮している者、負債のある者、不満を持つ者」がダビデのもとに集まって来ました(同上22:1-2)。誰しも思うのは、ダビデは王になる前に、こんなにも苦労していたのか、しかも、理不尽な理由で、ということでしょうか。
このようにして、人々はイエス・キリストの予型でもあるダビデに関心を寄せたのであります。困窮の中で、「きょう日用のパンが与えられた」こと(マタイ6:11)、「従者たち」とそれを分かち合ったことは、キリストにある信仰者の先駆けとなる、恵みの出来事でありました。主なる神は祭司の手によって、みじめで罪深いダビデ(サムエル記上21:3の祭司に対する言い訳は虚偽 他に同上21:14)に「聖別されたパン」を差し出されました。
「ダビデは、ノブの祭司アヒメレクのところに行った」時というのは、「パンを供え替える日」で、それは「安息日」を指し示しています。というのは、金曜日に焼いた「焼きたてのパン」が「供え替え」られるのは、「安息日」の間、供えておくためだからです。そういう経緯で、ダビデと従者たちが「普通のパン」でない「聖別されたパン」を食べました。
ダビデたちは改めて、神への感謝と祈り(サムエル記上23:2)を呼び覚まされてのではないでしょうか。祭司しか食べてはならない「聖別されたパン」(レビ記24:9)を一般人に与えるのは、けしからんと言う人は、神の御心の大きさに心開かれるべきでありましょう。ダビデの故事を援用された、主イエスの言葉を読んでみましょう。
Ⅲ ダビデも供の者たちも空腹だった
マルコ福音書2:25-26――
25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
ダビデの故事の原典(サムエル記上21:1-7)との違いに気づかれたでしょうか?
もし原典に書かれていなかったことが、主イエスの説き明かしの中にあるとすれば、それは強調点に他なりません。
「祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパン」との記述はサムエル記上にはありませんが、レビ記24:5-9「十二個のパン」の規定に書かれています。それ以外では、「食べ物がなくて空腹だったときに」と「ダビデは神の家に入り」との記述が注目されます。
「ダビデは神の家に入り」は原典では、「ノブの祭司アヒメレクのところに行った」となっています。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(ヨハネ2:21)とのメッセージのもとに、主イエスは御自身の伝道において、「神の家(神殿)に入る」ことを重視されています。そして、わたしたちもまた、「神の家」・「キリストの体」なる教会に入って、主イエス・キリストを拝むということを重んじています。
さて、主イエスの「従者」・「供の者」なる「弟子たち」に関わる言表として、「食べ物がなくて空腹だったときに」を取り上げましょう。元の文には、ダビデや従者が飢えていたと報じられてはいません。
「人の子」イエスは、人間の飢え渇きをよく知るお方でありました。その宣教の原点として、「四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた」(マタイ4:2)との荒れ野での経験を持っておられます。そしてまた、ガリラヤ湖畔では、「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない」(同上15:32)と言って、群衆にパンと魚を分かち与えられました。
群衆にパンを配った弟子たち(マタイ15:36)の中には、主イエスの語ったダビデの故事を想起した者もいたかも知れません。すなわち、祭司が空腹のダビデを憐れんで、「供えのパン」を差し出したという主イエスの語りを……。
要するに、主イエスは、「安息日に、麦の穂を摘んではならない」とのファリサイ派独自の禁則を退けて、「一緒にいる、空腹の者たちにパンを与える」ことこそが、神の教えだと指し示されたのです。実際に、主イエス・キリストは、新しい「安息日」なる主の日に、「聖別されたパン」を、悔い改めて、主と「一緒にいる者たち」に分かち与えることをお許しになりました。そのために、主イエス・キリストは十字架につけられ、三日後によみがえらされました。その方が今も、「永遠の命に至る食べ物」(ヨハネ6:27)を与えてくださいます。
Ⅳ 安息日は、人のために定められた
マルコ福音書2:27――
そして更に(イエスは)言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」
安息日論争は、主イエス・キリストの愛と権威が提示される形で結ばれています。ここでは、警句(真理を鋭く表現した句)が二つ並んでいます。
「安息日は、人のために定められた」……「ユダヤ人がシャヴットを守ってきたのではなく、シャヴットこそユダヤ人を守ってきたのである」というユダヤ民衆の伝承された諺があります。「人のために」、具体的に言うと、弱く貧しい民、罪深いユダヤ人を守り導くために、七日ごとの安息日が定められました。
それをいたずらに煩雑にして、人を苦しめるのは、本末転倒です。ファリサイ派の人々のように、「ユダヤ人がシャヴットを守ってきた」ことを鼻にかけるならば、安息日本来の意味が失われます。
安息日は「人のために」あるということで、人は不要な束縛や抑圧から解放されました。主の平和に包まれた主日の礼拝においても、わたしたちはまことの安らぎと自由を与えられています。
しかし同時に、神が安息日を「定められた」ことを忘れてはなりません。安息日こそ、わたしたちは聖なる神の支配のもとに置かれています。日常生活を中断して、「神の家」なる教会に入り、御言葉と「聖別されたパン」にあずかります。
創世記2:2-3――
2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった(シャヴァット)。3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさった(シャヴァット)ので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
ここに、神の「定められた」安息日の本来に意味が明示されています。天地創造の七日目、「神は安息なさった」と二度書かれています。それは、「人のために」なることです。なぜなら、その日、人は神の「安息」の中へ招き入れられるからです。
「神は安息なさった」ことに基づいて、この日、人は仕事を中断し、神に感謝し神を讃美するのです。主イエス・キリストの愛と権威をもって、その「安息」が回復されました。わたしたちはそのことを記念して、主のよみがえりの日、日曜日に礼拝を守っています。
Ⅴ だから、人の子は安息日の主でもある
マルコ福音書2:28 主イエスの言葉――
「だから、人の子は安息日の主でもある。」
最後に、主イエスは弟子たちとファリサイ派の人々の関心を、主御自身に引き寄せられます。主イエスに詰問したファリサイ派の人々は祭司たちと共に、群衆を扇動して、主イエスを十字架刑に追い込みました(マタイ27:62、ヨハネ18:3)。ここでファリサイ派との闘いの第一段が始まったばかりなのです。
すべてにおいて、先を見通される主イエス・キリストは御自身が「人の子」であることを現されました。その「人の子」、主イエス・キリストが十字架と復活によって、新しい主の日を確立されます。従って、安息日論争の真実なる回答は、まさに主のよみがえりの朝、主に従ってきた女たちや弟子たちに差し出されます。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方」(ヨハネ20:19)のことでありました。復活された主イエスは、「神は安息なさった」ことを、弟子たちに呼び起こさせるために、彼らの前に現れました。心身の衰え果てた弟子たちに「息を吹きかけ」られました(同上20:22)。これこそが、わたしたちの「安息」の源です。「その日」が終わりかけている、その寸前に、主イエスは「人のために」行動されました。
「その日」のうちに、「安息」が提供されたのは、主イエス・キリストのおかげです。それは、永遠の命の主であるお方が、わたしたちと共におられるという「安息」です。そのような意味が、「だから、人の子は安息日の主でもある」との警句に込められています。
主イエス・キリストが再び来られる日まで、永遠の「安息」が与えられるその日まで、わたしたちを主の日の「安息」を招き入れてくださいます。さあ、聖なる息を吹き入れられて、「安息」し、新しい一週を始めましょう。挫折して何かを「止めた」(シャヴァットの原意)人も、その時にリズムを立て直し、再出発できます。
Ω
2024年 3月3日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活前第4主日(受難節第3主日)
旧約聖書 詩編24編 1節~10節(P.855)
新約聖書 ルカによる福音書 19章37節~40節(P.147)
説 教「栄光の王が入って来られる」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅱ 誰が、主の山に上り 聖所に立つのか ……詩編24:3-6
Ⅲ 栄光に輝く王が来られる ……詩編24:7-10
Ⅳ 弟子の群れはこぞって 神を賛美し始めた ……ルカ19:37-40
序
2月14日、「灰の水曜日」に受難節・レントに入りました。そして、今月31日には、復活祭・イースターを迎えます。
都エルサレムをぐるりと囲むように、城壁と城門がそびえ立っています。全世界から、祭りを祝うために、都に上って来ます。城門をくぐられる主イエスを待ち受けようと、巡礼者は道を急ぎます。
大きな祭りの中で、主イエスが何をなされるのか、目撃しようとして、都の内からも近隣からも、人々が集まって来ます。なつめやしの枝を持っている人もいます(ヨハネ12:13)。そして、群衆の中には、子どもたちの姿も見えます(マタイ21:15-16)。
十字架につけられるのに先立って、主イエスは、都の門をくぐって入城されました。そして、神殿の境内に入場されました(マタイ21:12、ルカ20:1)。ところで、なぜ、主イエスの「入城」または「入場」が、わたしたち・信仰者にとって大切なことなのでしょうか? 付け加えて言えば、主イエスは幼子の時にも(ルカ2:22,27-28)、また、少年の時にも(同上2:42,46)、エルサレムの神殿の境内に入場されています。そこで、大勢の人と出会われました(参照:弟子または使徒の神殿入場の事例:使徒3:1-3、21:26-27)。
この疑問に関する、説き明かしの要点として着目すべきは、以下の点です。
・到来されるお方は、どういうお方なのか、が示される。
・入場者の資格……日頃の真実応答(K.バルト)……が問われる。
・到来される神と信仰者との出会いが起こる。
旧約の入場(入祭 イントロイト)の際の礼拝式文と、主イエスのエルサレム入城とを重ね合わせて、上記の疑問について考えてみましょう。詩編24編の式文に即して、主イエスの出来事を捉え直すことで、「入場」または「入城」に関わる疑問が解かれてゆくことでしょう。
さあ、「棕梠の主日」(3月24日)に間に合うように準備を始めましょう。わたしたちも、子ろばに乗って入城される主イエスを迎える群衆の輪に加わることにしましょう。
極めて印象的な言葉から始まっています。その冒頭に置かれているのは、「主のもの」、すなわち、「主に属するもの」という句です。「主に」帰属しているもの、「世界とそこに住むもの」、すべてに呼びかけられています。
初めに、神は「その地」(原文:ハアレツ)を創造されました(創世記1:1)。「地」は混沌と闇に覆われていましたが、神は御言葉によって、「その地」に秩序と光を備えられました。元は「地」が混沌としていたという徴は、この詩編の「大海の上に」と「潮の流れの上に」との並行句にも見出されます。
しかし、「その地」は「主のもの」ですから、「主は(「主こそが」と強調されている)、大海の上に地の基を置き 潮の流れの上に世界を築かれた」のであります。ここに、どんなに「世界」が揺さぶられようとも、また、どんなに全地が災いに襲われようとも、創造主として「世界」を支え保つという決意が昭示されています。
「わたしは神、初めでありまた終わりであるもの」(イザヤ書48:12)……ユダヤの民がバビロン捕囚という暗闇の中で聞いた御言葉です。主なる神は、最後までわたしたちを守り導かれます。
わたしたちは「主に属するもの」と言われます。ではそこで、何が求められているのでしょうか?
ジュネーヴ教会信仰問答 カルヴァン著 問一と答――
「人生の主な目的は何ですか。」「神を知ることであります。」
わたしたちの造り主について「知る」ことが、礼拝においても大前提になります。「知られざる神」を拝む人はそのために祭壇を築きます(使徒17:23)。しかし、それは、自分で造ったものに対する偶像崇拝にほかなりません。「自分のもの」ではなく、「主のもの」から始めるべきです。
そのために、わたしたちは聖霊に導かれて、「隠されていた、神秘としての神の知恵」(Ⅰコリント2:7)にあずからねばなりません。そのようにして、わたしたちが畏れをもって、神を知ろうとするならば、「神の深みさえも究められます」(同上2:10)。
詩編24:1-2が礼拝者にとって、初めに耳を傾けるべき御言葉であることが明らかになりました。この原稿の結で、Ⅰ~Ⅳをまとめる際に、振り返りましょう。
Ⅱ 誰が、主の山に上り 聖所に立つのか
詩編24:3-6 ①――
礼拝式の上で、まだ神と人とは出会っていません。その前に、わたしたちの告白が求められています。前段の詩編24:1-2では、創造主なる神について告知されました。だから、今度はわたしたちの番です。
恐れることはありません。ここに集っている者たちは、聖霊を通して「神の知恵」を受け、神を知り信じています。そこには、自ずから神をほめたたえるという姿勢が整えられています。讃美するように、主に向かって告白すればよいのです。
神が人を招き入れるかのように、「どのような人が、主の山に上り 聖所に立つことができるのか」と問いかけています。都エルサレムへの道が「上り」であるのは、人生の悩み苦しみを表しているかも知れません。そうした時に、巡礼の群れは互いに励まし合うように、歌をうたいます。谷間から都へと讃美がこだまする中で、「聖所に立つ」自分を思い描くことでしょう。
欺くものによって誓うことをしない人。
ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。
ここには、聖なる神、聖なる神の家(聖所)、そして聖なる神の信仰者という「聖なるかな」の三重奏が見られます。
思い起こせば、モーセがシナイ山に登って十戒を授けられた時、民は山に登ることが許されませんでした(出エジプト記19:20-25、34:1-4)。どうして、山の頂に立ったのが、モーセひとりだったのでしょう。それは、神と人とが出会う場所が、聖とされなければならなかったからです。モーセは神に召された時に、すでに「聖なる土地」(同上3:6)に立つという経験をしました。彼は神を畏れ敬う人でありました。
そして今、主なる神は巡礼者たちを、「聖なる土地」である「主の山」に導き入れようとしています。モーセに導かれた荒れ野放浪の時代と異なり、民の中には神殿・「聖所」での礼拝を体験したことのある大勢の人々がいました。というのも、ダビデ王の治世(前1004年-965年)に、楽器の演奏によって讃美をささげる礼拝が始められていたからです(歴代誌上15:16、同下7:6)。その礼拝の扉が開かれるに値する巡礼者たちとは……
「それは、潔白な手と清い心をもつ人」……言い換えれば、「あなたは聖なる神を拝むにふさわしく、聖別されているか」、を吟味しなさいということです。
考えてみれば、「潔白な手」は礼拝において多用されています。聖餐・配餐、奏楽、献金、祈祷、祝祷など、優美で闊達な「手」の動きには神の霊が宿っていると言えましょう。そのためにも、内奥から「清い心をもって」、神に仕えねばなりません。しかし、あまり自分の「手」や「心」のありように過敏になることはありません。問われているのは、「主のもの」としてのわたし全体です。
「それは主を求める人 ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人」……ひと言でいえば、どういう人か、が総括されているような句が提示されています。「わたしは主に属するものである」と信じていることが原点です。ならば、すべてに先立って、全身全霊をもって「主を求める」はずです。
苦難に遭って、主が「御顔」が隠された思うようなときにも「むなしいものに魂を奪われて」はなりません。忍耐強く「御顔を尋ね求める」ことです。主なる神は、わたしたちがこの世の旅路において、格闘している(Ⅰコリント3:8)のをご覧になっています。
確実に「主の山に上り 聖所に立つことができる」入場チケットがあるわけではありません。ただ、主なる神を信じていることを告白するだけです。それ故に、ひたすら「主を求める」こと、神を知ることが大切なのです。主なる神が聖霊を通して、あなたにその憐れみ深さを教えてくださいます。
詩編24:3-6 ③――
5 主はそのような人を祝福し
わたしたちが、「どのような人」かの一番の決め手は、わたしたちと主との関係にあります。主との交わりを感謝して、自分のことを言う前に、主について告白するということを、この詩編詩人は知っています。
主なる神と出会い、礼拝する大きな目的は、御力によって「祝福」と「恵み」を回復していただくことです。なぜなら、神の愛と義を追い求めようとするわたしたち(Ⅱテモテ2:22)を、「むなしいもの」や「欺くもの」が妨害しているからです。
わたしたちの努力がむなしく感じられるとき、「救いの神」が見えなくなります。だからこそ、最善の形を伴った霊的な礼拝、すなわち、わたしたちはじめ被造物が「主のもの」であると宣言される礼拝が重要になるのです。
詩編24:1-6において、主なる神とは一体どのようなお方なのか(Ⅰ)、そして、「主の山に上り 聖所に立つことができる」のはどのような人なのか(Ⅱ)、が説き明かされました。これらは準備でありました。しかしそれは、いよいよ主が「入場」されることのために、不可欠な準備でありました。待っている時間を、そのために捧げるならば、退屈し堕落することなどありません。
Ⅲ 栄光に輝く王が来られる
詩編24:7-10の内容と構成を踏まえて、「交読文」風に書き表してみましょう。会衆がこの「交読文」を唱えながら、礼拝堂に「入場」している、と想像してみてください。
A 独唱で司式者が歌い、そして問いかけます。 B 合唱で会衆が答えます。
とこしえの門よ、身を起こせ。
9 〈告知〉
とこしえの門よ、身を起こせ。
A 栄光に輝く王とは誰か。
司式者の先唱に誘導されて、ぞくぞくと巡礼者たちが主の家に帰って来ます。皆さん、無事、「主の山」を上りきり、神の神殿に入って来ることができたでしょうか。
〈告知〉の文頭に置かれた動詞・命令形が際立っています(4回:前の24:1-6には0回)。そのため、堰を切ったように「交読文」が躍動し、呼び交わすような声がこだましています。後続の巡礼者もその声に励まされて、無事たどり着くことでしょう。
また、〈告知〉と〈問答〉とが2回繰り返される巧緻な形式は、まさに礼拝式文を思わせます。ユダヤの民はこのような詩編に慣れ親しんでいたのであります(詩編24に類するもの:詩編15:1-5、100:1-4、118:19-21)。そうだとすれば、主イエスがエルサレムの城門をくぐって神殿の丘に上られたという出来事は、まさしく礼拝的な儀式でありました。その上、まことの「王」が「子ろばに乗っておいでになる」(マタイ21:5)という新しさがもたらされました。
それでは、詩編24:7-10の礼拝式文の要点を押さえておきましょう。
〈告知〉「栄光に輝く王が来られる」……2回、宣言されています。「角笛が鳴り響く」(詩編47:6)と共に、主が入って来られます。その時がまさに、クライマックスなのです。主はわたしたちの傍らにいますために来られます。
主なる神が入場されます。そうして、到来される神と信仰者との出会いが起こります。「主なる神が入場される」と言っても、わたしたちの理解が難しいのは、十分承知しています。神が見えない……だから、この神の顕現は、「神秘としての神の知恵」(Ⅰコリント2:7)をもって信ずべき出来事なのであります。
最後の場面で、〈問答〉「栄光に輝く王とは誰か」について、2回応じることが要求されています。「正解」を言おうと急いではなりません。まず、答えるあなた自身を省みてください。
「あなたは潔白な手と清い心をもつ人ですか」、また、「あなたは主を求める人ですか」、礼拝堂に足を踏み入れる前に、熟慮するよう促しています。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら……まず行って兄弟と仲直りをしなさい」(マタイ5:23-24)ということです。
そうして、「強く雄々しい主、雄々しく戦われる主」、または、「万軍の主、主こそ栄光に輝く王」と答えましょう。約言すれば、わたしたちの造り主なる神は、自らの「栄光」が現されるよう、「万軍」と共に戦って勝利をもたらされるということです。
そうして、晴れて入場が許されます。讃美をもって、口で信仰を公に言い表しながら、席に着きます。
それにしても、「城門よ、頭を上げよ」とはどういう意味なのでしょうか。「城門の頭」……なんだかファンタジー映画を見ている気分になります。しかし大切なのは、次のことでしょう。すなわち、閉じている「城門」が開かれるのは、人力ではなく、目に見えない神の権威(ルカ20:1-2)と御力による、ということです。
Ⅳ 弟子の群れはこぞって 神を賛美し始めた
ルカ福音書19:37-40――
37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
いと高きところには栄光。」
39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
「栄光に輝く王が来られる(であろう)」との預言(詩編24:7,9)が今、「主の名によって来られる方」によって成就しました。その時、群衆は歓呼と罵声によって二分されました。それは対照的な、「主に属するもの」・「弟子の群れ」の讃美と、そうでないもの・「ファリサイ派のある人々」の反論です。主イエスは、その真ん中を通って行かれました。
それが、主イエスのエルサレム入城でありました。ということは、主イエスの現臨によって、聖なるものと俗なるものの実体が露わにされたということです。そこで、俗なるものに属する、人間の偽善や罪科が「ファリサイ派のある人々」を通じて、その勢いを増してきました。
それに対し、「主のもの」なる弟子たち・女の人たち・子どもたちは、イエス・キリストの御姿により、「主こそ栄光に輝く王」との確信を抱いていました。「入場」の儀礼が礼拝式に無いにせよ、わたしたちは聖霊の助けにより、主イエス・キリストを迎え、主にお会いすることで、礼拝を始めています。主の十字架を仰ぎ、砕かれた魂をもってひれ伏している方は多いことでしょう。そのように聖霊の助けによって、主イエス・キリストを思い起こし記念する(ヨハネ14:26)のが、礼拝の中心です。
「これら特別の時に、馬小屋にお生まれになった赤子こそ『栄光に輝く王』であると、また、ただ退けられ、処刑されるためにのみ聖なる都に入城した男こそが隠された『栄光に輝く王』であると、開示されるのである」(J.L.メイズ)。
この「栄光に輝く王」なるイエス・キリストは、その週の内に十字架につけられて死を遂げ、よみがえられました。そして、初め(受肉以前)におられた父なる神のみもとに戻って行かれました。そうして、「天には平和、いと高きところには栄光」ということが実現しました。父なる神は御子イエスによって「栄光」を受けられました(ヨハネ14:13)。そしてこの地上では、「弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた」という「喜び」と「賛美」とが、神から「祝福され」(詩編24:5)、永遠に続くものとなりました。
結
さあ、初めに予告した通り、Ⅰ~Ⅳを振り返りながら、なぜ、主イエスの「入城」または「入場」が、わたしたち・信仰者にとって大切なことなのでしょうか?という問いに答えることにしましょう。
まず、確認しておきたい点は、主イエスのエルサレム「入城」を基として、礼拝の「入場」を捉えるというのが、キリスト教独特なことです。だから、あるスポーツ大会の「入場」式が盛り上がりを見せ、感銘深いものだとしても、それと、礼拝の「入場」は全く別なものなのです。
わたしたちが、「主の門に進み 主の庭に入れ」(詩編100:4、イザヤ26:2)との招きの声を聞くときに、わたしたちはどこに立っているのでしょうか。そこは、「聖所」のある「聖なる土地」です。実際にそうしないにしても、「足から履物を脱ぐ」(出エジプト記3:5)との意識を持たねばなりません。
わたしたち・信仰者にとっての「入場」とは、そのような「聖なる土地」であるスタート地点に立つということです。週毎に、わたしたちの人生行路をそこから再出発します。
なぜなら、それが「城門の頭が上げられる」ような奇しき出来事であると共に、わたしたちの決断が問われているからです。そのスタート地点が、創造主なる神をほめたたえ、自分が「主のもの」であると告白するのか、それとも、「ファリサイ派のある人々」のように自分の都合ばかり考えて罪の闇に落ちていくのか、の分岐点になっています。偽善をもって中へ入っても、後で本性が暴かれることは、「入城」したペトロはじめ大勢の群衆の顛末を見れば、自明です(ルカ22:54-62、23:18,35)。また、主イエス自ら、「祈りの家」を「強盗の巣」にした人々を追い出されました(ルカ19:45-48)。
そして、主イエスのエルサレム「入城」を基として、わたしたちが「入場」のスタート地点に立つとき、新たな地平が見えてきます。すなわち、まっすぐな道、主イエスの十字架の道行きが眺めわたせます。もう迷子の羊になることはありません。それは、「主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」(イザヤ2:3)との預言が、イエス・キリストにおいて成し遂げられるからです。
確かに、それは茨の道であります。苦しみや悩みが着いて来ます。突如、十字架を背負わされたキレネ人シモンのように……(マタイ27:32)。しかし、それは、主イエス・キリストが現臨されている道行きです。わたしたちの傍らに主がおられます。「入場」の地点から、わたしたちは新しく創造され、神の御力を受けています(Ⅱコリント5:17)。主イエス・キリストはわたしたちに行く先を指さし、しんがりに立ち、落伍しかかっている者を守ってくださいます(イザヤ52:12)。
「入場」・「入城」のとき、教会は一つにされます。「主のもの 地とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものは」と讃美することによって、皆一つになります。神がわたしたちを聖別し、わたしたちを礼拝に招き入れてくださいます。
Ω
2024年 2月25日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活前第5主日(受難節第2主日)
旧約聖書 アモス書 5章16節~27節(P.1435)
新約聖書 使徒言行録 7章42節~43節(P.226)
説教の構成――
序
Ⅱ 災いだ、主の日を待ち望む者は ……アモス書5:18-20
Ⅲ わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける
……アモス書5:25-27
Ⅴ 神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれた
……使徒言行録7:42-43
Ⅵ 恵みの業を川のように流れさせよ ……アモス書5:24
序
アモスは紀元前8世紀の半ばに彗星のごとく現れました。アモスは南ユダ王国のテコアの出身です。テコアはエルサレムの東南、およそ17kmにある町でした(サムエル記下14:2,4)。
注目すべきは、アモスが祭司でもなく、いわゆる職業預言者でもなかったということです。彼は一介の「牧者」でありました。羊ならびに牛を飼っていました(アモス1:1、7:14)。また、「いちじく桑を栽培する者」でもありました(同上7:14)。
これは一つの推察ですが。「牧者」・アモスは地主階級に属する、賢い人であったと思われます。というのも、アモス書の内容が知恵に満ちた、格調高いものだからです。
アモスは突如として故郷、ユダのテコアを旅立ち、北イスラエル王国に入りました。当時、北王国は、ヤロブアム二世(在位:前787-747年)の統治下にありました。ヤロブアム王については、「主の目に悪とされることを行い……(先代からの)罪を全く離れなかった」と告げられています(列王記下14:24)。そのような王に支配されていたにもかかわらず、北イスラエル王国は繁栄と平和を謳歌していました(アモス3:15)。南ユダ王国との関係も良好でありました。
しかし、その時には、外からの危険がまだ見えていなかったのであります。国内は、経済的格差によって民の間に対立や不満が増していました(アモス8:4)。礼拝は形式的になっており、御利益宗教の特徴を帯びていました(アモス4:5)。
以上のような時代状況において、ユダのテコア出身の「牧者」・アモスが、北イスラエル王国のただ中に派遣されました。アモスは特に、聖所のあるベテルで活動しました(アモス3:14、7:13)。神ご自身、遣わされる人にとって「完全アウェー」であるのをご存じだったことでしょう。この時代とこの人物を選び、旧約最初の記述預言書〈アモス書〉を書き表す、それが、逆風にも動じない神の御業でありました。
自ずからアモスの活動期間は短かったと思われます。その口を封じられ排撃されて、南ユダ王国に即刻、強制送還されたかも知れません。命からがら逃げ帰れれば、幸いというところでしょう。このことは、方角が北から南へで逆ですが、ガリラヤからエルサレムへ上られた、主イエス・キリストの苦難を偲ばせます。
アモスが一介の「牧者」であったと同様に、イエスもまた「大工の息子」でありました(マタイ13:55)。父なる神は、「羊飼い」・ダビデ(サムエル記上17:40)の子孫、イエス・キリストに神の霊を降らさせました。アモスもまた、神の霊を受け、人生をひっくり返されて、預言活動に励んだのであります。
Ⅰ どの通りにも泣き声があがる
アモス書5:16-17――
どの通りにも泣き声があがる。
主は言われる。
あなたが今、イスラエルのベテルの街角に立っている、と想像してみてください。一人の男が「それゆえ、万軍の神なる主はこう言われる」と叫んでいます。道行く人々は気にかけることもなく、通り過ぎていきます。「どの広場にも嘆きが起こり どの通りにも泣き声があがる」……男はさらに声を上げて言います。あなたは耳を澄ましますが、「嘆き」や「泣き声」は聞こえません。辺りから聞こえてくるのは、物売り、商人、両替商などの威勢のいい呼び声ばかりです。
イスラエルの人々は、少し鈍感なのでしょうか。日銭を儲けるのに、忙しいのでしょうか。アモスは町の四つ辻で、受け取り手の誰もいない「新聞の号外」を配ろうとしているようなものです。安逸をむさぼっている人々(アモス6:1)は全くの無関心です。ところで、その「新聞の号外」なるアモス書の冒頭には、次のように記されています。
アモス書1:1――
テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである。
「あの地震の二年前」、言い換えれば、二年後、紀元前760年に、大地震が実際に起こったと考えられています。アモスが「あの地震」を預言したのではありません。アモス書の序文は後からの付加です。アモス自身、「地震」のもとに「どの広場にも嘆きが起こる」とは、夢想だにしなかったでありましょう。
そうではなく、アモスが預言したのは、イスラエルの町々、「どの広場にも嘆きが起こり どの通りにも泣き声があがる」ということです。そして、村落もまた、「どのぶどう畑にも嘆きが起こる」という災いに見舞われます。「ぶどう」などの果物が収穫される秋の仮庵祭の折、「ぶどう畑」は祝いの会場となります。子どもの大人も、踊ったり歌ったりして過ごします(士師記21:20)。アモスは人々を恐れることなく、そこが「嘆き」の場になるのだ、と告げています。
そうして、イスラエル全土が喪に服すことになります。
「悲しむために農夫が 嘆くために泣き男が呼ばれる」……これは、本来の職業的な「泣き女」(エレミヤ書9:16)では事足りなくなるとの謂いです。「嘆きの声をあげて、哀歌をうたい お前のために挽歌をうたう」(エゼキエル書27:32)ような「泣き女」はもういないということです。ここでは、「死」という言葉を使わずに(アモス5:3)、「家の中から死体が運び出される」様(同上6:9)を描き出しています。葬儀のための人手が、もはや足りないのです。
アモスはここで、何故にこのような大惨事が生じるのか、説き明かしています。
「わたしがお前たちの中を通るからだと 主は言われる」……この文言でも、「死」を直接指し示すことが避けられています。しかし、なんとなく伝わって来る、この不気味さは隠しようがありません。なぜなら、この「通る」・「通り過ぎる」(ヘブライ語:アーヴァル)との句が、出エジプトならびに過越祭のキーワードだからです。イスラエル人なら誰しも、「通り過ぎる」神によってエジプトの災いから救い出されたことを知っています。
出エジプト記12:12 主→モーセとアロン――
「その夜、わたしはエジプトの国を巡り(通り=アーヴァル)、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。」
従って、先のアモスの預言は、「すべての神々(とその信奉者)に裁きを行うために、わたしがお前たちの中を通るからだ」と理解されます。悲痛な叫びがエジプトで上がったように(出エジプト記12:30)、イスラエルの国中に「嘆きが起こり 泣き声があがり」ます。御利益宗教の元になっている、イスラエルの偶像に対し「裁きが行われ」ます。主なる神を信じて救い出されたユダヤの民は、これを「過越祭」として記念するようになりました(同上12:43)。
イスラエルの人々は、自分たちが造り出したものに期待を寄せています。自分たちの欲望や賢さにおいて、偶像崇拝や御利益宗教が造り出されました。アモスは深い悲しみをもって、一つのキーワードにより、彼らの思考をひっくり返しにかかります。
Ⅱ 災いだ、主の日を待ち望む者は
アモス書5:18-20――
家にたどりついても
その手を蛇にかまれるようなものだ。
暗闇であって、輝きではない。
「災いだ」(ああ ヘブライ語:ホイ アモス書5:18、6:1)というのは、主の託宣中の、アモス自身の肉声です。言い換えれば、神の霊を注がれて、アモスは完全に神に仕える僕になっているということです。ですから、アモスは神の御前に自分の弱さも臆病もさらけ出して、神の力にあずかろうと切望しています。それによって、神に背いている傲慢な者たちに立ち向かおうとしています。アモスは、「主の日を待ち望む者」が孕んでいる偽善にメスを入れます。
「主の日はお前たちにとって何か」……アモスは冷静にイスラエルの人々に問いかけています。そして、彼らが答えるよりも先に、「それは闇であって、光ではない」(2回 アモス書5:18,20)と断じています。イスラエルの人々はこの宣告に驚いたに違いありません。なぜなら、彼らの理解とは正反対であったからです。安穏として生活を送っている人々には、自分たちの考え方を覆すような、アモスのメッセージは受け入れ難かったのであります。
当時のイスラエルの人々は通常、「主の日」を祭儀的な意味で捉えていました。すなわち、「主の日」、会衆が礼拝を守っているところに、主が顕現され、主の救いを知らせるということです。それに応じて、会衆はいけにえをささげ、罪の告白をします。
ところが、このような普通の意味での「主の日」が、神の言葉によってひっくり返されました。「主の日は闇であって、光ではない」ということです。それは、救いの日ではなく、災いの日なのであります。
それは確かに、思いがけないことでありましょう。アモスは次のように、イスラエルの人々の驚嘆を表しています……「人が獅子の前から逃れても熊に会い 家にたどりついても 壁に手で寄りかかると その手を蛇にかまれるようなものだ」。その日、人々がどんなに慌てふためいても、自分たちが掘った穴に落ちる(詩編57:7)のは、目に見えています。その日の窮乏に備えることも、祈ることもしなかったイスラエルの人々を、主は懲らしめられます(マタイ24:20、25:11-12)。
終わりの時、「主の日」の到来に備えて、わたしたちは日々に、聖書を読み、祈り、主の執り成し(ローマ8:34)を乞い願います。それが、主イエス・キリストにあって選ばれた民、「主の日を待ち望む者」にふさわしいことなのです。
次にアモスは、イスラエルの人々が「主の日」を誤解する元となった、当時の宗教的祭儀を取り上げます。これについて彼らと議論するのは、彼らを正しい礼拝へと導くためなのです。
Ⅲ わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける
アモス書5:21-23――
わたしは受け入れず
竪琴の音もわたしは聞かない。
では、そもそも、当時の宗教的祭儀とは、一体どのようなものだったのでしょうか? そのことを踏まえた上で、なぜアモスがそれを問題として告発しているのか、捉えることにしましょう。
当時盛んであった宗教的祭儀は、「お前たちの祭り」です。過越祭、七週祭、仮庵祭の三大祭、そして、燔祭、素祭、酬恩祭、また、新月祭、安息日などがあります。それらの祭りの中で、「焼き尽くす献げ物」、「穀物の献げ物」、「肥えた動物の献げ物」などがささげられました(レビ記1章-7章)。
では、その多種多様の祭儀において、何が問題であったのか……序で端的に、礼拝は形式的になっており、御利益宗教の特徴があったということを指摘しました。これに関して、K.バルトは「この神礼拝(お前たちの祭り)とそれによって礼拝されるべき方には、深淵が口を開けている。神はそれを侮蔑するほかない」と述べています。イスラエルの人々は、彼らの考える正しく清い祭りとその「献げ物」によって、まるで神が操れるかのように思い込んでいたのです。
それに対し、「礼拝されるべき方」、主なる神は断固として彼らの宗教的祭儀を拒絶されました。
挙行されていた、あらゆる事柄に対し、主の反発が宣言されていいます――
①・②「わたしはお前たちの祭りを①憎み、②退ける」アモス書5:21
③「わたしは祭りの献げ物の香りも喜ばない(においをかがない)」同上5:21
わたしは肥えた動物の献げ物も⑤顧みない」同上5:22
⑥「竪琴の音もわたしは聞かない」同上5:23
*③・④・⑤・⑥は、否定詞(~ない)を伴っています。
*⑤と⑥の間に、「お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ」(同上5:23)があります。
多様な表現を用いて、主なる「わたし」が全面的に「お前たちの祭りを憎み、退ける」と述べられています。このように、神の言葉による痛烈な告発の後に、イスラエルの民への罰が下されます。
Ⅳ ダマスコのかなたの地に連れ去らせる
アモス書5:25-27――
25 イスラエルの家よ
いけにえや献げ物をささげただろうか。
それはお前たちが勝手に造ったものだ。
主は言われる。
その御名は万軍の神。
「お前たちはわたしに いけにえや献げ物をささげただろうか」……ここでは、「かつて四十年の間、荒れ野にいたとき」の宗教的祭儀の律法について問い尋ねているのではありません。モーセ五書には、「いけにえ」や「献げ物」などの規定が記されています(出エジプト記23:18、レビ記7:1)。しかし、ここで問題になっているのは、預言者的な立場から見て、「そこに真実な礼拝があったのか」ということです。
従って、その答えは、「献げ物」を伴う真実な礼拝を「ささげなかった」となります。荒れ野時代の、民がアロンを誘導して行った「金の雄牛の偶像崇拝」は偽善と罪に満ちたもので、論外です(出エジプト記32章)。その時、人間から、「焼き尽くす献げ物」や「和解の献げ物」が供えられました(同上32:6)が、神はそれらを「受け入れず、顧みもされなかった」のであります(アモス5:22)。
神を崇める真実な礼拝においては、「わたし(主なる神)の声に聞き従う」(エレミヤ書7:23)ことが第一となります。そこに、わたしたちの応答として、感謝と讃美が生まれます。神との親しい交わりの中で、日々歩む人は幸いです。神は貧しい人が「レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランス」(およそ100円)をささげる(マルコ12:41-44)のを喜ばれます。
「今、お前たちは王として仰ぐ偶像の御輿や 神として仰ぐ星、偶像ケワンを担ぎ回っている」という人々に回心のきざしは見えません。「お前たちが勝手に」という自分勝手な状態に凝り固まっています。
Ⅴ 神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれた
使徒言行録7:42-43――
42 「そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。
『イスラエルの家よ、
お前たちは荒れ野にいた四十年の間、
わたしにいけにえと供え物を
献げたことがあったか。
43 お前たちは拝むために造った偶像、
モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を
担ぎ回ったのだ。
バビロンのかなたへ移住させる。』」
これは、ステファノが殉教する直前に、エルサレムで行った説教の一部です。ステファノは大祭司を前に、旧約聖書の歴史を説き明かしています。その中で、アモス書5:25-27を引用しています。
その説教において、アロンと民がモーセに反逆して、「若い雄牛の像を造った」ことが想起された(使徒7:39-40)後に、ステファノ独自の言葉として、次のように述べられています。
「そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました」を、
神の能動性に着目して訳し直すと、
「そこで神は(祭ではしゃいでいる)彼らを突っぱねて、彼らが天の星を拝むままに放置された」
要するに、人間は「雄牛の像から天の星へと拝むままに」、やりたい放題のように見えるが、実はそこに、その人間を「突っぱね、放置された」神の主導権があったということです。
さらに言えば、主なる神は、罪に対する裁きを受けて、自らの情欲と退廃との洪水に押し流されていく人間をご覧になっています。神はひとたび、人を「無価値な思いに渡され」ました(ローマ1:28)が、その罪人たちが立ち帰るのを待っておられるのではないでしょうか。
「だから、わたしはお前たちを バビロンのかなたへ移住させる」……アモス書5:27の「ダマスコのかなたの地に」が「バビロンのかなたへ」に代えられています。アッシリアによる北イスラエル王国の捕囚が前732年 / 722年で、そして、バビロニアによる南ユダ王国の捕囚が 前597年 / 587年 です。だから、情報を新しい方にアップデートしたのです。バビロン捕囚というより壊滅的な大惨事が、神を神としない偶像崇拝者たちの上に襲って来た、とステファノは言いたいのでありましょう。
ここでも、さらに言えば、主なる神は国家滅亡とバビロン捕囚の一部始終をご覧になっていました。というのも、神が選びの民を、「突っぱね、放置された」からです。憐れみの神、「あなたと共にいます」神(ルカ1:28)は、御子をこの世に遣わすほどに、罪人に寄り添っておられます。
一時は「無価値な思い」に染まっていたユダヤの民が都エルサレム、神の神殿に帰還してきた道すじについては、イザヤ書(第二イザヤ)やエレミヤ書に克明に描かれています。
Ⅵ 恵みの業を川のように流れさせよ
尽きることなく流れさせよ。
旧約聖書中、特筆に値する聖句です。愛唱聖句にされている方もおられることでしょう。預言者の深い嘆きと神の厳しい裁きの間に、このクライマックスとなるメッセージが置かれています。それによって、イスラエルの民に迫っている暗闇に、希望の光が射し込んで来ます。
Ⅲ(アモス書5:21-23)で確認した通り、この節の直前には、「お前たちの祭りを憎み、退ける」という神の拒絶が示されました。その神の「受け入れない」こと(同上5:22)から、一転してここに、何が御心に適ったことなのか、がズバリと告げられています。裁きを通じて救いをもたらす神に、わたしたちがどのように応答するのか、の格好の手引きになっています。
ということは、「正義」と「恵みの業」とは、わたしたちが実践すべき課題なのです。多くの人々が安逸をむさぼっている中にあって、主を礼拝する者たちがへりくだって、隣人を愛し助けるということです(ミカ書6:8)。
ここで、自己中心なる受け身の姿勢や怠惰が頭をもたげてくるでしょうか。これを愛唱聖句にしている方はすでに気づかれているかも知れませんが、神はそのような人を後押ししながら導いておられます。
「正義を洪水のように 恵みの業を大河のように 尽きることなく流れさせよ」……「正義」と「恵みの業」が奔流となって、急速に流れ下る様が描かれています。
これも有名な聖句、「あなたの道を主にまかせよ」(詩編37:5)にも、「石などをゴロゴロと転がす」(ヘブライ語:ガーラル)との同一の動詞が使われています。つまり、神の愛を受け、救われた者として、「正義」と「恵みの業」を「ゴロゴロと転がしなさい」ということです。罪の力によって抵抗しない限り、神と人との喜ばれる、善い「業」が行き巡っていきます。
神でないものに身をまかせてはなりません。神が「彼ら(背く者たち)を恥ずべき情欲にまかせられる」(ローマ1:26)のは、ひと時のことです。「主に自らをゆだねよ」(詩編37:4)と命じられる神がわたしたちを悩みの淵から助け出してくださいます。
「主の日は光であって、闇ではない」(アモス5:18,20の逆転・ひっくり返し)という「主の日」が終わりの時に到来します。わたしたちはそこで、アモス書5:24の預言の成就を見ることになるでしょう。
ヨハネの黙示録22:1――
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
神の御力によって、信仰者の「正義」と「恵みの業」がゴロゴロと転がされていた、その「川」は確かに「尽きることない、とこしえの流れ」でありました。
Ω
2024年 2月18日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
復活前第6主日(受難節第1主日)
旧約聖書 ゼカリヤ書 14章20節~21節(P.1495)
新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 3章16~17節(P.302)
説 教「あなたがたはその神殿なのです」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅱ 神の霊が自分たちの内に住んでいる……Ⅰコリント3:16後半
……ゼカリヤ書14:20-21
序
今、パウロは「霊的なものによって霊的なことを説明する」(Ⅰコリント2:13)ことに集中しています。「“霊”(=聖霊)に教えられた言葉によって」いるので、その論理展開は滑らかで、説得力があります。わたしたちは、神からの知恵とその聡明さに基づく、奥深い議論にしっかりと耳を傾けることにしましょう。
パウロは議論を展開するにあたって、「知恵のある者」と「世の無学な者」、また、「キリストにある幼子」と「信仰に成熟した人」(Ⅰコリント1:26-28、2:6、3:1)、すべての人に呼びかけています。土台を据える人もそれを建てつぐ人も、そこに加わるように求められています。なぜなら、一人ひとりが神の召しを受け、「神のために力を合わせて働く者たち」(同上3:9)として働いているからです。
今回のわずか二節のテキストにおいて、パウロは聖霊の導きを受けて、教会論を展開しています。圧倒的な瞬発力で、「集中講座」、絶賛開講中です。わたしたちの周りには、「うまい言葉やへつらいの言葉」(ローマ16:18)が満ち満ちています。まずはそれらをはね除けましょう。
パウロは、「あなたがたは神の畑である」(Ⅰコリント3:6-9)⇒「あなたがたは神の建物である」(同上3:9-15)⇒「あなたがたは神の神殿である」(同上3:16-17)というように、日常的な比喩から真実な宣言へと教会論を積み上げています。
「コリントにある神の教会」において、「おのおのの仕事」や「賜物」(Ⅰコリント1:2,7、3:13)が組み合わされ、万事が益となる(ローマ8:28)という道すじが示されています。そこでは、先を見越して論理展開できるパウロの強みが発揮されています。また、皆が向き合って関与すべき問題も、臆することなく明らかにされています。
コリントの信徒への手紙 一 3:16前半――
①あなたがたは、自分が神の神殿であり、②神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 * の部分を前半として取り扱います。
パウロは、「あなたがたは~を知らないのですか」と問いかけています。「はい、わたしたちは既に〈“霊”(=聖霊)に教えられて〉知っています」との答えが期待されています。しかし、全員が「はい」と答えられないのを見越して、順序立てて説明しています。
すなわち、この節の①が主題となる宣言で、②がその論拠になっています。ここでは、①について、パウロが一体何を言いたいのか、捉えましょう。次節17節では、その宣言への補足ならびに警告が記されています。
ここでの「あなたがた」は、コリント教会のすべての兄弟姉妹を指しています。その「あなたがた」が全体として「神の神殿」なのです。わたしたちは、「神の」、すなわち、「神のもの」であります(詩編24:1冒頭)。だから、わたしたちは神に造られたものとして、神の栄光をほめたたえます(同上102:19)。「神のもの」を汚したり壊したりしないように、と警告されています。
パウロの言う「神の神殿」は、教会にほかなりません。では、「あなかがたは神の教会である」とは、どういうことなのでしょうか? 実際、パウロはコリントの信徒への手紙 一 の冒頭から「神の教会」との用語(Ⅰコリント1:2、10:32)を使っているのですが……。
パウロは今、旧約聖書を背景とする「神の神殿」に根ざしながら、「神の教会」についての教会論を打ち立てようとしています。とすれば、「神の神殿」とはひと言でいえば、何であったのでしょう。余談ですが、コリント滞在中のパウロについて、「天幕造りがその職業であった」(使徒18:3)と書かれています。生活の糧を得るときにも、「神の神殿」のことを考えていたのでしょうか。
それは、主なる神の「います所」(詩編74:2)であります。そこにおいて、人が「神に出会う」(申命記4:29)ことが許されました。人が「神に出会う」ために、「神の神殿」に至聖所が設けられ(列王記上6:16)、祭司職が整えられました。そして、民衆もまた、「神の神殿」で「神に出会う」ために、三大祭(過越祭・七週祭・仮庵祭)の時、巡礼するのが慣わしとなりました(申命記16:16)。
さらに、パウロはコリントの信徒への手紙 二 においても、「わたしたちは生ける神の神殿なのです」(6:11)と述べています。「わたしは彼らの間に住み、巡り歩く」(Ⅱコリント6:16)という神に、今わたしたちは、教会でお会いすることができるのです。そこで、わたしたちは臨在してくださる神の御前で礼拝をささげます。それによって、「あなたがたは神の神殿である」ことが、信仰者の告白と感謝と讃美をもって言い表されます。
ここでパウロは、「神の神殿」が神のものとして十分に尊ばれていないことを見抜いています。教会教育の賜物を持ち、謙遜に「キリストにある幼子ら」を導いているパウロは、適確な説明を加えています。
Ⅱ 神の霊が自分たちの内に住んでいる
コリントの信徒への手紙 一 3:16後半――
①あなたがたは、自分が神の神殿であり、②神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 * の部分を後半として取り扱います。
既にこの節について、①が主題となる宣言で、②がその論拠である、と述べました。言い換えれば、「あなたがたは神の神殿である」との告知を、どのようにすれば信じられるのか、また、それによってどんな益があるのか、が②で説き明かされているということです。
とは言っても、パウロはここで新しいことを提示しているわけではありません。この手紙の冒頭で提示されている、「十字架の言葉は、わたしたち救われる者には神の力です」(Ⅰコリント1:18)というキリスト教の基本を、「神の霊」なる聖霊がわたしたちに教えているということです。つまり、そのために、「自分たちの内に住んでいる」というように、聖霊なる神がわたしたちの内に常駐しているのです。
「“霊”(=聖霊)は一切のことを、神の深みさえも究めます」(Ⅰコリント2:10)という聖霊が自分に寄り添っています。聖霊はわたしたちを、「キリストにある幼子」から「信仰に成熟した人」へと成長させてくださいます。そうして、成熟させられた一人ひとりが、「神のために力を合わせて働く者」(同上3:9)として、「神の建物」を建てついでいきます。その時、コリント教会は「あなたがたは神の神殿である」との宣言にふさわしい教会であるということになります。
聖霊がわたしたちの内に住みつくことによって、教会が「生ける神の神殿」となります。聖霊の力が充満して、人間の誇りや頑なさは打ち砕かれます。このようにして、パウロは教会論の基本を簡潔に指し示しました。
次の節の前半でパウロは、「あなたがたは神の神殿である」ことが危機にさらされる場合について言及しています。まさに「熟練した建築家」(Ⅰコリント3:9)のごとく、パウロには抜かりがありません。
Ⅲ 神の神殿を壊す者
コリントの信徒への手紙 一 3:17前半――
ある人が神の神殿を「壊す」ならば、神はその人を「滅ぼされる」ということです。二つの動詞はギリシア語「フセイロー」という同一語です。つまり、「破壊する」者は自ら「破壊される」のだという同害報復が宣告されています。同害報復とは、被害に相応した報復を行うことで、「目には目を、歯には歯を」(レビ記24:20)との言葉がよく知られています。
まことに厳しい警告ですが、一体、コリント教会の誰に向けられたものなのか、明らかにされていません。また、どのようなやり方で、「神の神殿を壊す」のか、も書かれていません。
しかし大切なことですから、パウロの手紙全体を読んで推論してみましょう。
まず、「神の神殿を壊す者」とは、誰か、どんな人物なのか、について――
パウロの手紙には、「偶像を崇拝する者」(Ⅰコリント5:11)や「娼婦と交わる者」(同上6:16)のことが出てきます。そのような人々は、主イエス・キリストにあって聖とされた教会に属しながらも、いまだこの世の中、「肉」の中に生きています(同上5:5)。彼らはサタンの支配下に引き渡されています。
パウロは、「神の神殿」のメンバーについて、次のように描き出しています……「なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです」(Ⅱコリント11:2)。自分は神から愛され救われた、その熱い思いをもって、コリント教会の一人ひとりを「純潔な処女」として尊んでいるということです。そのような人が汚れてしまい、罪に巻き込まれていくのは、パウロにとって耐え難いことだったでしょう。
次に、何をもって、どのようなやり方で、「神の神殿を壊す」のか、について――
外からの圧力によるものか、それとも、内部崩壊によるものか。ここで指弾されているのは、「神殿を壊す者」ですから、「木、草、わら」(Ⅰコリント3:12)などの脆い資材をもって建てつぐ人とは別になります。というのも、建てつぐ人の安直な仕事は明るみに出されますが、彼らは救われるからです。「木、草、わら」が燃え尽きてしまえば、彼らは「損害を受けます」(同上3:15)が、それによって、神の愛による主イエス・キリストの救いが取り消されるわけではありません。
さて、「神の神殿を壊す」ことが、内と外、どこから起こるのか、言明できませんが、わたしたちの警戒すべき「破壊力」というものがあります。
それは、「肉の人」、信仰の成熟していない人の間に絶えないという「ねたみや争い」です(Ⅰコリント3:3)。エゼキエル書35:11には、イスラエル(弟ヤコブの末裔)とエドム(兄エサウの末裔)との本来親密であるはずの関係の中で、憎しみ⇒怒り⇒ねたみという連鎖によって争いが激化することが指摘されています。それは、教会の兄弟姉妹という交わりの中でも、起こり得るという警鐘でありましょう。
そして、既にパウロが取り上げていることですが、「ねたみや争い」にも関連する問題として、「分派づくり」があります。「あなたがたはめいめい、『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」(Ⅰコリント1:12、3:4)というように、当時のコリント教会における、一致と協調との欠如を、パウロは認識していました。
これは、「神の神殿」における内部崩壊の事例になります。ただし、冷静に手紙により当時の状況を分析するならば、内的な原因に加えて、外から「自然の人」の考え方、すなわち、「この世の滅びゆく支配者たちの知恵」(Ⅰコリント2:6,14)が教会内に流入していたと言えるでしょう。
「分派づくり」は、教会に幾つもの亀裂を生じさせます。それはやがて、「神の神殿を壊す」ことへと至る恐れがあります。悔い改めて、「神の霊が自分たちの内に住んでいる」とのパウロの教えを受け止めねばなりません。
そこで、旧約聖書から、「あなたがたは神の神殿である」との宣言に即した出来事を読んでみましょう。
Ⅳ すべて万軍の主に聖別されたものとなる
ゼカリヤ書14:20-21――
20 その日には、馬の鈴にも、「主に聖別されたもの」と銘が打たれ、主の神殿の鍋も祭壇の前の鉢のようになる。21 エルサレムとユダの鍋もすべて万軍の主に聖別されたものとなり、いけにえをささげようとする者は皆やって来て、それを取り、それで肉を煮る。その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる。
ゼカリヤは紀元前6世紀後半に活動した預言者です。ゼデキヤは神殿の再建作業に関して、エルサレムの住民に霊的な指導を行いました(参照:ゼデキヤ書2:5-17 若者〔2:8〕の育成)。ゼデキヤ書の最終・14章では、終わりの日を見据えて、諸国民の巡礼と都での礼拝が描き出されています。
それはまさに、再建されたエルサレム神殿と都に上って来た巡礼者によって、「あなたがたは神の神殿である」ことが成就するということでありました。その祝祭の中心に、「わたしはあなたのただ中に住まう」(ゼカリヤ書2:9,14,15)と宣言される主なる神がおられました。
折しもそれは、三大祭の一つ「仮庵祭」(ゼカリヤ書14:16,18,19)を祝うために、主の民が「神の神殿」に押し寄せて来る時でありました。
さて、終わりの日に、「主の神殿」では、一体何が起こるのでありましょうか?
「その日には、馬の鈴も、鍋も、鉢も……すべて万軍の主に聖別されたものとなる(であろう)」……不思議なことですが、祭事に関わる物までもが「聖別される」と預言されています。あまりにも大勢の人がやって来るので、聖なる物が品不足になっているかのようです。それもこれも、待望の仮庵祭が神と人とに喜ばれるものとなるように、ということです。すべてのものが、礼拝を献げるために、「聖別され」、神に属するものに変えられます。
「その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる」……主イエスによる宮潔めが思い起こされます。ちょうど、「ダビデの子にホサナ」との群衆の歓呼(マタイ21:9)に応えて、主イエスがエルサレムに入城された時のことでありました。過越祭が迫っていました(同上26:2)、
マタイ福音書21:12――
それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
主イエスは商人たちを追い出されました。憤りをもって厳しく対処されました。日常、神殿の回りで、「いけにえをささげる」ために、動物を「売り買い」することがありました。また、諸国の人々が御賽銭をするために、「両替」が必要でありました。
しかし、「その日」には、「この世の知恵」(Ⅰコリント2:6)と霊的な教えとは相容れないものでありました。過越祭や仮庵祭を祝うために、「すべて万軍の主に聖別されたものとなる」のが大事なのであります。
ところで、預言者ゼデキヤは、「主に聖別されたもの」という神からの恵みがどのようにして、「神の神殿」にゆき巡ると考えているのでしょうか。言い換えれば、諸国の民がことごとく集められた礼拝(ゼカリヤ書14:2)において、どのようにして、「あなたがたは神の神殿である」との宣言が聞かれるのでしょうか。
ゼカリヤ書4:6 第五の幻――
「これがゼルバベル(神殿再建の指導者)に向けられた主の言葉である。
武力によらず、権力によらず
ゼデキヤは、「わが霊」なる神の力によって、この地から汚れた霊が追い出されると語っています(ゼデキヤ書13:2)。また、万軍の主は、嘆き悲しみに襲われるときにも、「ダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ」と述べています(同上12:10)。
そうして、その日には「わが霊」なる神の力によって「あなたがたは神の神殿である」ことが実現します。神の霊の働きに寄り頼んだゼデキヤは、「神の霊が自分たちの内に住んでいる」と宣言したパウロの先駆けとなりました。
Ⅴ 神の神殿は聖なるものである
コリントの信徒への手紙 一 3:17後半――
神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
「神の神殿は聖なるものだからです」……この点については、既にゼカリヤが「その日」の奇しき出来事として預言していました。巡礼者のみならず、日用から借りてきたような祭具に至るまで、「主に聖別されたもの」となるということです。
そうして、諸国の民は、「神のもの」・「神に属する会衆」として神殿に入ります。そこで、人々は主なる神の「わが霊」を注がれます。そこで、諸国の民は神への信仰において、一つとされます(ネヘミヤ記8:1)。「あなたがた」は「神の神殿」を構成する肢々となって、祭りを祝い、それぞれの日常へ帰って行きます。わたしたちにとってまるで、聖霊降臨日の祝祭(ユダヤの暦では七週祭にあたる)を見ているかのようです(使徒2:1-6)。
パウロは、初めに提示した主題、「あなたがたはその神殿なのです」を繰り返しています。極めて簡潔な宣言ですが、「あなたがたは〈主イエス・キリストの十字架の復活の御業によって〉その神殿なのです」と補足すれば、一つの信仰告白となり得ます。ただし、この文脈において、キリスト論への寄り道は避けているようです。おそらく、一つ一つ、要点を押さえながら、「キリストにある幼子」の前で語っているからでありましょう。
結
「あなたがたは神の畑である」⇒「あなたがたは神の建物である」⇒「あなたがたは神の神殿である」……日常的な親しみやすい比喩から始まり、最後、「聖なる」宣言で締め括られました。聖霊の導きのもとに、パウロの教会論は築き上げられました。
「あなたがたは神の神殿である」との確信において、皆が「成長させてくださる神」(Ⅰコリント3:6)のもとに召し集められることでしょう。浅はかな人間的な知恵ではなく、「神の深み」なる知恵によって(同上3:10)、互いの間の「ねたみや争い」も根絶させられることでしょう。
Ω
2024年 2月11日 日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会
降誕節 第7主日
旧約聖書 詩編66編 10節~12節(P.898)
新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 3章10節~15節(P.302)
説 教「イエス・キリストという土台」 小河信一牧師
説教の構成――
序
Ⅰ 土台を据える者とその上に建てつぐ者 ……Ⅰコリント3:10
Ⅲ かの日がおのおのの仕事を明らかにする
Ⅳ 神よ、あなたは我らを試みられた ……詩編66:10-12
Ⅴ 火の中をくぐり抜けて来た者のように救われる
……Ⅰコリント3:14-15
序
コリント教会には、「ユダヤ人」・「ギリシア人」・「奴隷」・「自由な身分の者」など、さまざまな人が集っています(Ⅰコリント12:13)。また、「知恵のある者」や「能力のある者や、家柄のよい者」の少数派と、そうでない「世の無学な者」や「身分の卑しい者」の多数派との間に、対立がありました(Ⅰコリント1:26-28)。
パウロは将来に向けて、キリストの体なるコリント教会が大きく成長し、豊かに実を結ぶよう、励ましの手紙を書いています。彼はその最適任者でありました。というのも、第2回伝道旅行(49-52年頃)の際、パウロはおよそ一年半コリントに滞在し、教会を建てたからです。「わたしは植えた」(Ⅰコリント3:6)というように、コリント教会にとって、パウロは開拓伝道者だったのです。
およそ2年の歳月を経て、パウロはエフェソ(小アジア・トルコ半島)からコリント(ギリシア)へ手紙を書き送りました。それは、コリント教会の問題を見つめ直すのに、ふさわしい時空間の隔たりだったと言えましょう。
パウロはキリストの福音に照らしつつ、コリント教会の複雑な状況を分析し整理しています。そして第一に、信徒一人ひとりが、「キリストにある幼子」から「信仰に成熟した人」へ(Ⅰコリント2:6、3:1)と変えられていくという道すじを示しました。そのように、洗礼を受けた者が造り変えられる奥義として、神からの霊を受けなさい、と勧めました(同上2:12)。教会が「神から恵みとして与えられたもの」(同上2:12)に満ち溢れていることを知るとき、お互いの間に、ねたみや争いは起こり得ません。そこには、いつも神の知恵にあふれた讃美と感謝が行き巡っていることでしょう。
今回のテキスト箇所では、「あなたがたは神の建物なのです」(Ⅰコリント3:9)との観点から、いわゆる教会論が展開されます。それは、キリストの体なるコリント教会という全体像を昭示するということです。そうすれば、「知恵のある者」と「世の無学な者」、また、「キリストにある幼子」と「信仰に成熟した人」、それぞれの違いも、一致の中にある多様性として受け止められることでしょう。
パウロは、異なる賜物を持った「仕える人」(ディアコノス)が一つの群れとなって、「神のために力を合わせて働く者」(シュネルゴス)となるという方向性を明示しています(Ⅰコリント3:5,9)。
では、ご一緒に「神の建物」のルームツアーのひと時を過ごしましょう。「熟練した建築家」パウロが案内してくれます!
コリントの信徒への手紙 一 3:10――
わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。
まず、「神の建物」の建築について、役割分担が明らかにされています。すなわち、「土台を据えた」人と「その上に家を建てている」他の人がいるということです。これは、「神の畑」において、「わたしは植え、アポロは水を注いだ」(Ⅰコリント3:6,9)ということと響き合っています。
すでに述べたように、コリント教会にとってパウロは開拓伝道者ですから、「わたしは熟練した建築家のように土台を据えました」との点については、皆同意したことでしょう。「熟練した」(ソフォス)とは「知恵の」という原意で、本来、「隠されていた、神秘としての神の知恵」に由来するものです(Ⅰコリント2:7)。パウロは神の御心に添うようにと祈り、土地を選定しました。そこに、それまでに幾つかの教会を建ててきた、パウロの「熟練」、すなわち、「賢さ」がありました。
さて、土台を据える者からその上に建てつぐ者へと、バトンが渡されるとき、そのリレーが首尾よく行くようにと、誰しも思います。コリント教会の「建てつぐ者」の代表として、アポロが挙げられます。彼については、「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家」(使徒18:24)との情報があります。パウロとは旧知の仲でもあり、コリント教会の牧会者として最善の後継者でありました。アポロは神からの召しを受けて、「土台の上に家を建てる」ことに従事しました。
「ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです」……「おのおの」は、教会の一人ひとりとの意味で、牧師や伝道者のみならず信徒をも指しています。一人ひとりがさまざまな賜物を与えられ、それぞれの務めに就いています(Ⅰコリント12:4-5)。大切なのは、キリストの体の隅々にまで、聖霊の働きが現れるように、ということです(同上12:7)。
その時々の教会の実際問題をめぐっては、「どのように建てるか」の正解が見出しがたいかも知れません。しかし、あなたの憎しみ⇒あなたの怒り⇒あなたのねたみという連鎖によって争いを起こしてはなりません(エゼキエル書35:11、Ⅰコリント3:3)。教会を疲弊させてはなりません。「わたしたちは神のために力を合わせて働く者である」(Ⅰコリント3:9)との初心に立ち返ることです。
土台を据える者とその上に建てつぐ者との連係や「どのように建てるか」問題を見越して、パウロは「神から(わたしに)いただいた恵みによって」との句を、この文章の冒頭に置いています。
パウロ自身について言えば、この句は大きく二つのことを言い表しています。
一つは、キリスト教を迫害していた自分、「罪人の中で最たる者」(Ⅰテモテ1:15)が神の恵みによって、イエス・キリストの救いにあずかったということです。
もう一つは、使徒として立てられ、各地の開拓伝道において「熟練した建築家」の働きが神の恵みによって、与えられ支えられたということです。
次の節では、「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました」と語ったパウロが、その「土台」について説明しています。そこで、教会を建てる際、中心となるお方が登場します。
Ⅱ イエス・キリストという土台
コリントの信徒への手紙 一 3:11――
イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。
土台を据えた者も、その上に建てつぐ者も「無視」できないのが、「イエス・キリストという既に据えられている土台」です。つまり、教会を建てる際に、伝道者や信徒が「土台」を設計して造り出す必要はないということです。パウロのように、既にある「土台」を据えればよいのです。とすれば、パウロが据えた「土台」とは、一体何なのでしょう。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブライ13:8)……このお方御自身が「土台」になってくださいます。信仰により祈りをもって建てられる教会の「土台」は、「イエス・キリスト」以外にあり得ません。コリント教会へのパウロの信頼は、「イエス・キリスト」が土台として「既に据えられている」ことに依っています。神の用いられる道具として、パウロは慎重に「熟練した」手をもって据えたのです。
従って、わたしたちの礼拝や伝道の確かさは、すべて「既に据えられている土台」なる「イエス・キリスト」に掛かっています。「イエス・キリスト」が「土台」であり、その神の住まいに霊の働きに満ちるとき(エフェソ2:20-22)、わたしたちが信仰において成熟するように、また、ねたみや争いをくぐり抜けて和解するように、導かれます。
終わりに、「この土台はイエス キリストである 1990年7月定礎」……茅ヶ崎香川教会の「隅の親石」(詩編118:22)に刻まれている文……に関して一つ、類句を掲げましょう。
ペトロの手紙 一 2:4――
この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
「イエス・キリストという土台」がここでは「尊い、生きた石」と言い換えられています。「生きた」とは単に「永遠の」という意味ではありません。それは、「十字架につけられて死んだ後に、よみがえった」石ということです。この「生きた石」は人々から踏みにじられ、放り捨てられました。しかし、神から「選ばれた」、その石は、神の力によって復活されられました。その意味で、教会には困難を乗り越える力が備わっているはずです。
わたしたちは今、神の建物の「土台」なる「生きた石」(単数形)の恩恵にあずかっています。パウロは次のように証言しています。
ガラテヤの信徒への手紙2:20――
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
さて、次の段では、「土台」なる主イエス・キリスト、その「土台」を「熟練した建築家」のように据えたパウロに続いていよいよ、建てつぐ人々、すなわち、現在のコリント教会員へのメッセージが記されています。
Ⅲ かの日がおのおのの仕事を明らかにする
コリントの信徒への手紙 一 3:12-13――
12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、13 おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
注目すべきは、建てつぐ人々の課題と共に、「神の建物」に関わる将来が見渡されていることです。「建物」というのは一般的に、そこに長い間住むものですから、これは必須の説き明かしでありましょう。わたしたちが安心して、そこで生活するための、基本情報になります。
「金、銀、宝石、木、草、わら」……パウロは、建てつぐ人々が用いている六つの資材を挙げています。そして、それらを二グループに分類しています(H.W. ホーランダル)。
「金、銀、宝石」……火によって損なわれないか、ほとんど損なわれない資材。
「木、草、わら」……火の中で完全に燃えてしまう資材、つまり、容易に燃える物。
「この土台の上に」積み上げていく資材が重要だ、というのはすぐに肯ける話です。主イエスも、「家と土台」の譬えの中で、「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲う」ことがあると警告されています(マタイ7:24-27)。「砂の上に建てられた家」は、たとえ「土台」自体が頑丈であっても、「倒れて、その倒れ方がひどかった」という結末に至ります。
「神の建物」の建築に関わる、二グループの資材の比喩はよく分かります。しかし、「おのおの、どのように建てるかに注意すべきです」(Ⅰコリント3:10)との警告を、建てつぐ人々は教会の働き・奉仕として、「どのように」実践すればよいのでしょうか。礼拝、伝道、説教、聖書研究、交わり……
この点についてすでにⅠで、少し言及しました。
一つは、「わたし(パウロ)は、神からいただいた恵みによって」との冒頭の句が、建てつぐ人々の胸に刻まれること。
もう一つは、その時々の教会の実際問題をめぐっては、「どのように建てるか」の正解が見出しがたいこと。従って、「わたしたちは神のために力を合わせて働く者である」(Ⅰコリント3:9)との初心に立ち返って、協議すること。しばらく忍耐して待たねばならないこともあるでしょう。
「なぜなら、かの日(単数形)が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです」……「かの日」は概ね、「終わりの日」、すなわち、キリストの再臨の日を指していると見なされています。「神が(教会を)成長させてくださる」(Ⅰコリント3:6-7)ことに、終わりが告げられるその日と、より一般的に解することもできるでしょう。
大切なのは、「かの日に、おのおのの仕事は明るみに出される」が故に、畏れをもって「終わりの日」を見据えていることです。そうして、今の「仕事」に全身全霊をもってたずさわるのです。なぜなら、神が最終的に、吟味した上で、評価を下されるからです。その時、「それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります」(Ⅰコリント3:8)。
「神の建物」の支配者なる神と建てつぐ人「それぞれ」の関係が重要です。周りを見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」(ヨハネ21:21)と、問うのは差し控えましょう。あくまで、神に仕える僕として、自分の「仕事」を全うすることです。
果たして、わたしは神の恵みを信じて救われるのかどうか、「かの日」まで裁きが据え置かれるとしたら……。答えを得ようと焦って悶々とするよりも、慰め深い旧約の詩人の言葉に耳を傾けてみましょう。
Ⅳ 神よ、あなたは我らを試みられた
豊かな所に置かれた。
「我らは火の中、水の中を通った」との詩行から、バビロン捕囚(紀元前6世紀初め)のような歴史的な苦難がこの詩の背景にあると分かります。「我らは」は、敵に侵略され、大災難の中でもがき苦しみました。
上の詩文で特徴的なのは、一つの詩行を除いて、「あなた(神)は 我らを~した」(合計6回)との言い回しが貫かれていることです。「あなた(神)」と「我ら」との関係に揺らぎは皆無です。「我ら」を造られた「あなた(神)」は、「我ら」を守り導いておられます。神は「火の中、水の中」、民と共に歩んでおられます。
内容的には、神がイスラエルの民を、苦難や危機を通して訓練される様子が描かれています。訓練とは、「銀を火で練る」試みのように、苛烈なものです。「我ら」の行った善いことも悪いことも、すべて露わにされます。それは、善悪を見分ける霊的感覚と経験を身につけるためです(ヘブライ5:14)。その上、その訓練が、いつまで続くのか、「我ら」に知らされていません。
そして神は、「我らの腰に枷をはめ」て御前に立たせ、我らの罪を裁かれます。誰も、その厳しい裁きから逃れられません。なぜなら、「かの日に、おのおのの仕事は明るみに出される」(Ⅰコリント3:13)という終わりの日が到来するからです。
みなさん、不安になられるでしょうか。思わず、周りの人の様子を覗きたくなるでしょうか。詩人のつづった最終詩行を読んでみましょう……「しかし、あなたは我らを導き出して 豊かな所に置かれた」。ここに、希望があります。
神の寛大さを証しする、別の事例についてお話ししましょう。
創世記26章に、イサクがペリシテ人によって妨害されながらも、井戸を掘り直したという挿話が出ています。イサクは飢饉のために、ペリシテ人の領土ゲラル(ガザの南方)に移住しました。そこに、イサクの父アブラハムの掘った井戸がありました。土で埋められていたので、修復しようとしたのです。それは、その土地に種を蒔いて収穫するためでありました(創世記26:12,15)。
その時、ペリシテ人はイサクをねたみ、彼と争い、彼に敵意を抱きました(創世記26:14,20,21 参照:エゼキエル書35:11)。そのために、イサクはゲラル周辺の谷に移住し、天幕を張って住みました。イサクは、荒れ地に井戸を掘った父アブラハムの労苦(同上21:25,30)を思い起こしたに違いありません。
そうして、新たな井戸が掘り当てられ、もはやペリシテ人との間に争いは起こらなくなりました。神がイサクを祝福されたのです。
創世記26:22――
イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。
詩編66:12の「豊かな所」は、「潤い」とも「自由」とも読み換えられます。「我ら」を縛り付ける「網」や「枷」から自由になっていることは、確かです。わたしたちが大いに慰め励まされるのは、この使信(試みからの救い)がキリストの福音につながっているということです。
Ⅴ 火の中をくぐり抜けて来た者のように救われる
コリントの信徒への手紙 一 3:14-15――
14 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、15 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。
「かの日」の話の続きです。今の時代の、教会・設立の問題として語り直してみましょう。
建物に土台を据える人々がいます(複数人としておきます)。そして、建築を押し進めて、建てつぐ人々がいます(これも複数人として)。「植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります」(Ⅰコリント3:8)との文意が今、深く理解できます。
すなわち、一人ひとりが、「報いを受ける」か、それとも、「損害を受ける」か、それぞれに、分かたれるということです。しかし、驚くべきは、その先です。
「ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」……「その人」とは、「損害を受ける」人、神の裁きによって罰を受ける人です。「その人」は「熟練した建築家」ではありません。愚かにも、神の建物に、「木、草、わら」などの資材を持ち込んでしまいました。早く、建て上げようと急ぐあまりに、「かの日」という将来を望み見ることがありませんでした。
「その人」は「神の建物」、すなわち、教会を建てつぐ者として、「神からいただいた恵み」を十分に生かせなかったのです。彼らの中には案外、教会の兄弟姉妹の評判はよかった人もいるかも知れません。しかし、その仕事は「燃え尽きてしまいました」。永続するようなものではなかったのです。「かの日」に「その人」は罰せられました。
しかし、驚くべきことに、その先がありました……「ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」。確かに、「我らは火の中、水の中を通った」(詩編66:12)というように、その人は「火の中」の試練を耐え抜きました。
その人は、「キリストにある幼子」(Ⅰコリント3:1)のような人とも言えるでしょう。「キリストにある」ということだけが、「救い」なのであります。
結
ここでは、「かの日に、おのおのの仕事は明るみに出される」(Ⅰコリント3:13)に関連して、重要なことを補足します。
コリントの信徒への手紙 二 になりますが、パウロは「あなたがたは神の建物なのです」(Ⅰコリント3:9)という教会論を発展させています。それは、わたしたちが主イエス・キリストと再会する、終わりの時・「かの日」を見据えたものになっています。
コリントの信徒への手紙 二 5:1――
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
一瞬、唖然とするでしょうか。地上で、「神のために力を合わせて働く者たち」(Ⅰコリント3:9)が土台を据え、建てついだ「神の建物」・教会とは別の「建物が備えられている」とは……?!
いや、別のものと言うよりも、わたしたちの教会は、「天にあるものの写し」なのです(ヘブライ8:5)。だから、地上の「神の建物」を聖なる宮として、建て上げるようとしているわたしたちの「働き」(Ⅰコリント3:8)、その「労苦」は、決して無駄になりません。
主なる神は、終わりの時に、「天にあるものの写し」なる教会を精査され、群れの一人ひとりの「働き」を吟味されます。そうして、「火の中をくぐり抜けて来た者のように」救われた者たちは、「天にある永遠の住みか」に入れられます。格闘と呼べるほどの仕事に終わりが告げられます。まことの安らぎに包まれます。
これほどの、身に余る「報酬」(Ⅰコリント3:8)が約束されています。先走りの損得勘定は止めて、達し得たところに従って進んでいくことにしましょう(フィリピ3:16)。
Ω
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